2010 年 4 月

秋吉台国際芸術村など

更新滞っております。
ちゃちゃっと展示の感想を書きあげて今年の美術大学受験予測などをしていきたいのですが、さいきん家事にハマっておりましてね、時間があると掃除機かけたり茶碗を洗ったり洗濯をしたり床を拭いたりしてしまいます。

はい、前回の続きです。
なぜ山口県に行きたかったかというと、秋吉台の鍾乳洞、秋芳洞に行きたかったんです。それとカルデラ台地。2〜3年前からずっと訪れたかったんだけど、それだけのために訪れるのもどうかなあという気もしてたんですね。そしたら今回やっとYCAMで「見ても良いかな」という展示が開催され、ちょうど飛行機のマイルも貯まっていたので、山口行きを決定したというわけです。








新山口からバスで30分くらい。
鍾乳洞は…そこまで感動しなかったかな。
秋芳洞じたいはスゴかったんだけどね、観光地観光地しすぎてて…。
ディズニーランドのIt’s a Small Worldがフラッシュバックしてました。

カメラは50mmの単焦点レンズしか持っていかなかったことを後悔。もっと広々とした写真が撮りたかった…。岩肌はくっきり撮れたけど、とくに秋芳洞っぽくないし!単なる素材写真じゃねーか。
30秒ぐらいシャッター開けて撮ったので、実際はこんな明るくないです。



鍾乳洞を出ると秋吉台のカルデラ台地が広がっています。
散策したい気分にかられるも、ヤバいくらいの強風と寒さ、小雨で断念。

そして秋芳洞から車で5分くらいのところに「秋吉台国際芸術村」ってのがあります。アート・イン・レジデンスの施設ですね。音楽のコンサートなども行われているようです(多分)。

車で5分…。そのくらい歩いても行けるでしょ、と思っていた自分が馬鹿でした。
山道の ”車で5分”って、東京の”車で5分”よりも、かなりの距離と高低差があります。






田舎の山道といえば突如として捨てられているエロ本でしょう。




で、無事着いた。
坂道を上ったり下ったり徒歩40分くらいでした。鍾乳洞+カルデラ台地と合わせれば2時間以上歩きっ放しでしたね。しかも平日ということもあり、自分の他に歩行者とはほとんど出会わず、車も数分に1台通り過ぎるくらいで孤独。天候は太陽が出たり小雨が降ったりと変わりやすく、上着やマフラーを着たり脱いだり。あと普通のヒモなしの革靴で行ったので、靴はボロボロになるわ足は痛くなるわ大変でした。


こういうモニュメントが施設の入り口に建ってました。ドーンと大きくて迫力あるんだけど、歩き疲れてヘトヘトの私には「山ん中に税金でこんなもん建てて誰の役に立つんだよ…」と心の中で毒づいてしまいました(ほんとに税金で建てられているかどうかは定かではない)。


そんな邪悪な心を見透かされたのか、モニュメントの内側から空を見上げると、ちょうど頭上をカラスが横切りさわやかな気分 。でもあと0.5秒早くシャッターを切っていたら、鳥のシルエットがモニュメントにかぶらなかったのにな…。







秋吉台国際芸術村、スケールでかい。鑓水の山の中に建てられた多摩美の図書館みたいな唐突感。ちなみにこれもYCAMと同じく磯崎新の建築。見るぶんにはいいけど、住民はどう思ってるんだろうって心配になる。他人のお金だからってちょっとやりすぎじゃないか…。


施設の裏の芝生。多摩美でいうとテキスタイル棟あたりのイメージ。自分が訪れたときはちょうど何も展示をやっていない時期でした。誰もいないし、特に何が飾ってあるわけでもない(タイミングがあえば滞在していたアーティストの作品が飾ってある)。苦労してたどり着いたのに意味ね〜と思いつつも、でも、まー、鳥の鳴き声や風の音のなかでひとりで佇むなどし、無人の良さもありました。


しかし、なんで芸術ってこんな山奥に追いやられるんだろう…。
スペースの問題とかあるにせよ、マイカー必須のわりと無茶苦茶な場所だと思った。
滞在するアーティストは楽しいかもしれないけど、ここで展示があるとして、訪れる難易度高すぎ。それこそ直島や越後妻有みたいな盛上げかたしないと宝の持ち腐れな気も。

同じアーティストインレジデンスの施設でも、山奥には変わりないとはいえ国際芸術センター青森は青森公立大学も近くにあるし、バスもあるし、も少しアクセスしやすかったな…。

三上晴子「欲望のコード」

三上晴子の「欲望のコード」をみるために山口情報芸術センター(通称:YCAM)に行ってきました。山口まで足を運んだのは三上さんが大学の先生だったということもあるけれど、山口県は以前から行きたかったところだし、それと最近このブログでも何度か書いている「メディアアート」について考えるための参考になればなあ、というのが動機でしょうか。


新山口駅からバスで30分ほどでYCAMに着きます。

YCAMはまるで砂漠で出会う幻の蜃気楼の城のように、山口のじゃっかん褪せた街並みの中に突如としてドーンと建ってます。この一帯だけやけに整備されており、ものすごい税金が投入されたんだろうなあということを否応無しに予感させられます(実際、YCAMを建てることに対して、地元住民からの反発も結構あったらしい。このへんのことはwikiにくわしく載ってます)。


建築は磯崎新。この建物には市立図書館も併設されています。屋根の流線型は、後ろにそびえる山々のイメージでしょうか。



周囲では「欲望のコード」が大々的に告知されていました。かなり大きい垂れ幕です。


DMは厚めのメタリック紙に印刷されており豪華で目立ちます。


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メイン作品である「Desire of Codes」は、思っていたよりもわかりやすい作品だな、という印象でした。(上記の画像はオフィシャルサイトから。会場はたぶん撮影禁止ではないと思うんですけど、とても暗かったので写真を撮りませんでした。)


オフィシャルサイトでの「Desire of Codes」の説明は

巨大な壁面に広がるのは、昆虫の触毛を思わせる、小型カメラを搭載した大量のストラクチャー。そして、天井からは、カメラとプロジェクターが搭載された6基のロボットサートアームが吊られています。各装置は、昆虫がうごめくように、観客の位置や動きをサーチし、それに向かって動き出し、観客を監視しています。さらに、会場の奥には、昆虫の複眼のような巨大円形スクリーンが位置します。それぞれのカメラの映像データは、世界各地の公共空間にある監視カメラの映像とともに、独自のデータベースを構築し、過去と現在、会場と世界各地の映像は、複雑に交錯しながら、スクリーンに投影されます。時間や空間を断片的に組み変えながら、新たな現実を描き出す複眼。それは、観客自身を監視と表現の対象とした、情報生態系に増殖する欲望であり、そこにある私たちの新しい身体の存在と現在の意味をも提示します。


となっています。ぜんぜん頭に入ってこない文章ですよね。作品をみたあとだと、ものすごくわかりやすく説明してくれてるな、と思うえるんですが….。

パッと見、「どこいってもカメラで自分の姿が撮影されてる監視社会って怖くね?」という薄っぺらい現代社会批評を提示している作品と受け止めることもできそうですが、テキストなどを読むと「肉体」「存在」ということを問いかけているようですね。わたしはあの場でそこまで深く作品を理解したかと言われれば、理解できてなかったと思います。

しかし、コンセプトやテーマを抜きにしてもYCAMの空間を贅沢に使ったインスタレーションは圧倒される迫力がありますし、カメラの動きやアームの動きは無機物でありながら有機的でもありなかなか感動的でした。この時代、メディアアートをこのスケール感で観賞できるのはなかなかレアなんじゃないかなと思います。
行って良かったYCAM!

あとは併設展示されている(旧バージョンを以前ICCで観た気がする)「gravicellsー重力と抵抗」は、魅力もあるとはいえ、なにをどう感じるものなのか理解しづらいところもありました。


いまの自分たちくらいの世代の人は「メディアアート」という名称やジャンル分けを嫌う傾向があるし、それが当然だと思います。「メディアアート」という言葉に抵抗感がないのはアッパー40才くらいの世代じゃないでしょうか。「欲望のコード」はれっきとした「メディアアート」だったし、それはパンフレットに丁寧にシステムチャートまで掲載されていることをみてもあきらかです。


自分は「アート」は「マジック」(手品)と似たようなところがあると思います。つまり、裏側をみせずに人を感動させるということ。どこにでもある身近な素材が、アーティスト(マジシャン)によって、まったく不思議で魅力的なものに変わる。

「アート」の「種も仕掛けもありません」という態度(または仕掛けはあるけど、仕掛けは非常に単純でわかりやすいもの)に対して、「メディアアート」は「種も仕掛けもあります」と裏側があることをあきらかにしながら「でも見せたところであなたたちにはこの種や仕掛けは理解できないでしょ?」と感じさせるところに、自分は嫌悪を抱くことがあるのかなと思いました。

山口ではもういっこ美術関係の施設を巡ったんですが、それはまた次回。

ポートフォリオの教科書

美大生のみなさん、こんな本が売ってますよ。



「クリエイティブ業界に就職するためのポートフォリオの教科書」という本です。

「ぜひ、キミと一緒に働きたい」そんな言葉が思わず飛びだすポートフォリオの作り方、知りたくないですか?内定を引き寄せる、魅力あふれるポートフォリオを作るためにはどうしたら?この疑問に答えるべく、さまざまな実例から、共通成功ポイントを抽出。効果的で、訴求力のあるポートフォリオを作るためのメソッドを紹介。

という触れ込みなんですが、ペラペラと立ち読みした感じだと入門編ってところですかね。とてもわかりやすいけど、そんなに物凄いことは書いていないです。多摩美の人には物足りないんじゃないですかね…フフフ。ま、わたしは一度も学校の課題以外でポートフォリオを制作したことがないし、死ぬまで制作する予定はないのですが!だってポートフォリオとか嫌じゃない?自分の作品なんてゴミだよ全部。

発展篇として、大手広告代理店や有名ゲーム会社などに内定した人たちのポートフォリオ集でも作って売れば、すごいニーズがあると思う。

アーティストファイル2010 現代の作家たち

前回のメディアアートなんたらという話について、やっぱり言いたいことは全部言えてないので加筆修正…をしようとしたけど、やっぱり言葉にできない。ほんと、メディアアートってムカつく!なんて。

ポリティカルアートとかメッセージアートのような呼称はあくまで「アート」に属するけれど、「メディアアート」ってのは「アート」と枝分かれしたところに位置しているような印象ですよね。「メディアアート」=「(ニュー)メディアアート」であるように、「アート」=「(コンテンポラリ)アート」であるならば…という話はまたいつか。

最近めっきり活動を聞かないけれど、秋廣誠さんの作品はものすごい境界線上だと思うんですよね。(Google先生曰く、女子美の非常勤講師らしい…けど??)

とりあえず今回は国立新美術館で「アーティストファイル2010 現代の作家たち」をみました、って話です。(会期は5月5日まで。)



今回は箇条書きで。

・福田尚代さんの作品が気になった。本や文字の作品よりも、消しゴムの作品に思うところがあった。村上陽子にみせたい。見たかな?

・展示会ドキュメント400円。これは嬉しい。

・一般料金は1000円。学生は500円。学生半額って良いよな….。まあ、もう関係ない話だけど。

・国立新美術館の広い&天井の高い展示スペースを使い、だいぶゆとりのある空間だった。あれくらいのスペースと作品数だと疲れなくてイイ。

・作家の選出についてとくにテーマを設けないというのは、投げっぱなしのような気もするし、逆にそれがいまの時代っぽい気もする。

・しかしどんな現代美術作品も、国立新美術館という場所で展示されるとエッジがなくなる気がする。国立新美術館というと、どうしても日展やらその他の老人趣味(失敬!)の展示場という印象があり、どんなハードエッジな美術作品もお国からのお墨付き(権威付け)がなされ、途端にインポテンツな作品にみえてしまう。



ほんとうは展示の感想だけじゃなくて、書きたい内容はいくつかあるんですがね…。

装飾/アルスエレクトロニカ

ちょっと前になるけれど、東京都現代美術館に「装飾」展と「サイバーアーツジャパン アルスエレクトロニカの30年」を観に行きました。(アルスエレクトロニカ展のほうは会期終了しています。)


「装飾」でいちばん印象深かったのはやはり塩保朋子さんの切り絵です。観客の皆さんも見入っており、紙という身近な素材であそこまで人を惹き付けることができるのが「装飾」の力ということでしょうか。「装飾」展のカタログは3種類の表紙から選べるんですが、わたしが行った時にはすでに塩保さんのだけが売り切れていました。

自分は塩保さんのほかに、サテンを染めた横内賢太郎さんの作品と、石けんを彫った小川敦生さんの作品なども気になりましたね(カタログは横内さんのを購入)。多摩美テキスタイルの学外展でも思いましたが、コンセプト先行の時代に、手作業で美しく丁寧につくりこんでいる作品は安心します。

でも作品の善し悪しとは別に、ウィリアムモリスのような手作業とパターンに狂ったキ◯ガイ大集合の展示だとも期待していたところもあり、個人的には「装飾」という言葉の捉え方を広くしたぶん、展示全体としてみると「なんでこれが装飾なんだろう…..?」と感じたところもあり、若干まとまりの弱い印象を感じました。
といってもまあ、そんな気になるというわけでもありませんし、装飾について考える意味ではアリなのかもしれません。




で、「装飾」よりも見たかったのが「サイバーアーツジャパン アルスエレクトロニカの30年」です。この展示、自分の周囲のメディア系の作品に強い人(思い出横町派とかH川さん)からは散々な評価で、そこまでボロクソ言われてるならむしろ見ておかなければと思った次第です。

……わたしはそんなにヒドい印象は受けませんでしたね。「普通に面白かった」という感想です。きっと美大1〜2年生や一般の方がみたら、やはり「普通に面白かった」というような感想がでてくるんじゃないでしょうか。ICCをみたあとと似たような気持ちです。アートだ芸術だという先入観なしにみれば「普通に面白かった」んです。

同時にメディアアート(もしくはメディア芸術)の限界も感じた気がしました。一部の人々が「メディアアート」の範疇にこだわりすぎて世界を狭めている気がするんです。日本の広告グラフィックと同じような世界の狭さを感じます。

ICCやアルスエレクトロニカ展をみると、今回のようにメディアアートが展示されるのが前提の場所でしか展示できない作品もあるし、逆に、ICCや今回のアルスエレクトロニカ展のような場所で展示しないほうが良い作品もあると思うんです。「メディアアート」の垢(先入観)がついてしまうので。

展示空間は大学の卒業制作展ぽかったです。いろいろなタイプの作品が未整理のまま会場に並んでいるところが……。まさに情報芸術コースの卒業制作展の印象でした。結局、メディア系の作品はプロがキュレーションをしてもあのような雑多な印象になって、展示としてのまとまりが弱くなるということをみせつけられました。

正直この記事のアップが遅くなったのも「メディアアート(もしくはメディア芸術)」について考えていたからであり、「装飾」だけなら1週間は早くアップできてましたね。 メディアアートはその言葉が誕生した時点からオリジナル・シンを背負ってるんだ。