2011 年 1 月

水戸芸術館 大友良英「アンサンブルズ-2010 共振」



先週の日曜日、水戸芸術館に大友良英「共振」を見に行ってきました(会期終了)。

休日になにもしないのも勿体ないと思ってなにげなく家を出たんだけど、電車の中で「そういえば水戸芸術館って自宅から片道4時間くらいかかるんだった…」って気がついた。新宿⇄水戸間の高速バスが廃止になったのがちょっと辛いですね。とはいえ電車内で本(岡崎乾二郎「芸術の設計」)を読んだり、電車の待ち時間に立ち食いソバを食べたりして、プチトリップ気分でそれはそれで楽しみましたが。

駅前からバスで「泉町一丁目」というところで降りて(このバス停の目の前にある、あきらかに周りとミスマッチな店構えのルイヴィトンを見るたびモヤモヤとした感情が沸き上がる)、徒歩で水戸芸術館へ。水戸は雪で路面が凍結して怖かったです。


水戸芸術館に着くとちょうどパイプオルガンの演奏をしていました。土日によく演奏されてるらしいです。水戸芸術館にはこれまで数回訪れたことはあるけれど、すべて平日だったから聞くのは初めてだった。パイプオルガン、ずっと聞いてみたいなって思ってた。でも音が響きすぎてあまりキレイな音色とは思わなかったし、演奏されていた曲もそんなに趣味ではなかった。


で、大友良英「共振」の展示。

展示室にはカスタムされたレコードプレイヤーや分解されたピアノやドラム、スピーカやーポータブルCDプレイヤーが天井から吊り下げられていました。美術の展覧会のように展示室ごとに区分けされているというよりかは、すべての展示室を繋げてひとつの空間として扱っているように思えました。

レコードプレイヤーやピアノやドラムは、それぞれがランダムに音を奏でています。
音はメロディになっているわけではなく、ピアノだったら「ポーン」という音、ドラムだったら「タタタッ」という微かな音。レコードプレイヤーはガサガサ、カツカツという荒い音を不規則なタイミングで奏でているだけ。いつどこで音が鳴るかわからず、音がなったほうを振り向いても、すでにどこでなにが鳴っていたのか知ることは出来ません。

「音楽としての音」というより「周波数としての音」というイメージでした。

ピアノやドラム、レコードプレイヤーはどんな壁際に配置されていようとも、広い会場の中でそれぞれが中心に位置してるとも言えます。それはコンサートのように鑑賞者の前面に演奏者や楽器があるわけではなく、楽器の周りに人が集まるから。

それぞれの楽器が中心となって音を奏で、次の瞬間にはまた違うところが中心となって音が奏でられる。それらが繰り返されてひとつの空間を音で満たしていく。今回の展示に合わせて行われた市民による音楽パレードも含めて、それはまさに展示のタイトル通り「アンサンブル」だし「共振」でもある。


と、いうのが展示の説明。
クロージングライブがあるというのを当日知って、この機会に見てみようと思って夜までのこってみてみた。ライブは一カ所で行われるのではなく、会場内を複数の演奏者たちが移動しながら音を奏でるというもの。観客も自由に動き回りながら演奏を聞く。


正直に言えば、自分にはまだそのライブの魅力は理解できていません。
試みとしては理解できるけれど、じゃあ展示自体、演奏自体に感動したかと言われれば……。
いろいろ考えてしまってアーティストの演奏に没頭できない気がして。

大学時代、隣のクラスではかなり専門的なサウンドアートの授業が行われていたけれど、自分はいっさい共感できなかった。よくわからなかった。奏でられる音は心地良くなかったし、あまりに冗長に思えてた。サウンドアートの講義も聞いたりして、そのコンセプチュアルな部分は好きだったけれど、メロディのないノイズのような音を数十分も聞き続けることはできなかった。

それでもハマる人はハマってるし、なにか自分には理解できない魅力を彼らは知っているんだろうと思ってる。
この分野、まだ勉強中です。「わからないなら聞かなくていいよ」って言われそうだけど…。



ggg「秀英体100」


メゾンエルメスに行った日、gggで「秀英体100」も見てきた。

大学時代はデザインよりも現代美術に興味があったから、フォントやタイポグラフィのことは全然勉強しなかった。だから秀英体って聞いても、どういう書体なのかまったくわからなかった。おそらくグラフィックデザインを勉強した人から見れば「秀英体も知らないんだ(笑)」って感じなんだと思う。

でも知らないからでこそ見たい(知りたい)って気持ちもあって、どんな展示かよくわからないまま行ってみた。
そしたら面白かった。

1階は著名なデザイナーたちによる、秀英体を使用したポスター。
地階では秀英体の歴史や資料。

1階は是非美大のデザイン科志望の受験生に見て欲しいですね。
巨匠たちが「四季」というテーマに対してどういう発想の仕方をして、どのような答え方をしているのか。とても参考になると思います。じっさい見てきた学生に感想を聞いてみたら、「原研哉のポスター格好良かったけどぜんぜん秋じゃないじゃん」とかなかなか辛口な意見が出てきました。そのかわり、「ここまでやっちゃってもいいんだって思った」とも言っていました。

予備校だと基礎を教えるのに精一杯でなかなか「表現」することまで結びつかない。
「表現」するためには「基礎の技術」は大切。でも「基礎の技術」を学んだからといって、良い「表現」ができるとも限らない。重要なのは自分が「基礎の技術」を使いこなすことであって、「基礎の技術」に自分がとらわれてはならない。やはりプロたちは技術を乗りこなしてる。

個人的に好きだったポスターは浅葉克己、葛西 薫、佐野研二郎、原 研哉、佐藤晃一…というどれも比較的色彩の主張が抑えられたものだった。グラフィックデザイン学科の試験、今年漢字きたらどうしよう。対策してないや。とか浅葉克己のポスター見て思った。


地階は、活版印刷の映像も面白かったし、秀英体の時代ごとの変革も見比べられて面白い。昔の新聞広告なんかもアジがあったり。この分野、ぜんぜん詳しくないけど少しとっかかりができる展示だった。良かった。受験生は受験前に行ってくださいね。1月31日まで。

メゾンエルメス 曽根裕「雪」


仕事前、メゾンエルメスで曽根裕の「雪」を見てきた。
メゾンエルメスの正面突破はいつも緊張する。

広い方の展示スペースにあった水晶の雪の彫刻にはあまりピンとこなかった。
先日IZU PHOTO MUSEUMでみた杉本博司のガラスのほうが透明度が高くて美しかったから。
それに比べれば、この雪の彫刻は継ぎ目も見えるし、色も濁っている…そんな風に思った。

自分はこの雪の結晶の彫刻、てっきりガラスで出来ているのかと思ってた。
あとから資料をみれば、天然の水晶を彫刻しているらしい。
入り口で配布されるブックレットに雪の結晶のことや水晶を削るときのことが書いてある。
それを読んだら、この作品も良いものかもしれない、と思い始めた。

で、いまこの記事を書きながらオンラインの読売新聞のインタビュー映像を見てる。雪の彫刻のなかでも制作時期によってクオリティが違うらしい。このインタビュー見てから作品をみたほうが、よりじっくりと作品を見ることができたかもしれない。(ちなみに海外暮らしのせいか本人の喋りがかなり危うくて面白いので、是非インタビューを見ることをおススメします!)


自分は水晶でできた雪の彫刻よりも、奥の展示スペースにあるふたつの作品にハッとした。
ひとつは雪山の彫刻で、スキー場のリフトが掛かってる(人も乗ってる)。もうひとつは雪の積もっていない、春か夏を想起させる緑の山の絵画。

雪山の彫刻はリフトに乗ってる小さい人の顔に微妙に起伏がつけられていて、どんな人が乗ってるのかと想像してしまった。あとはリフトのリフト性について考えてしまった。行きはあるけど帰りはない、片道しかない乗り物としてのリフト…。彼岸にいってしまうような恐ろしさを感じた。(インタビューだと作家本人が「愉快な瞬間をソリッドな…」って言ってるから深読みしすぎなんスけど。)

絵画のほうは透明だったり白かったりする今回の作品群のなかで、唯一色のある作品。
色とか別に普通だし、ちょっと上手な中学生や高校生っていう感じの絵なんだけど、この作品が最後に飾ってあることに感動した。ほぼ一点透視で描かれていて、スーッと絵に吸い込まれるような感覚。「なんでこの作品だけ雪がないんだろ?」とか「なんでこの作品を最後にしたんだろ?」とかいろいろ考えさせられる。まあ、僕はこの作品にも「あの世」的なものを感じてしまったんスけどね…。

2月28日まで。

弥栄高校美術展(前)

もう1ヶ月ほど前なんだけど、勤務している高校の美術展に行った。
っていうか、仕事ですね。

完全な個人の趣味で作品を掲載します。





「VEIN」という卒業制作。
葉の葉肉の部分を水酸化ナトリウムで溶かし、葉脈だけにしたものを糸で繋ぎ合わせて手の形にした作品。台に照明が仕込まれていて、葉脈の形が血管のように浮かび上がる。

葉を溶かすのは自ら理科の先生と交渉して手伝ってもらっていた。自分の作品のために周りを巻き込んでいく姿勢が頼もしい。いちおう自分の担当していた学生なんだけど、コンセプトや形体でちょこちょこ相談はしたものの、テクニカルな部分や最終的な判断は自分で進めてくれた。

薬剤に浸けて、葉を1枚づつ歯ブラシで磨くのは結構大変な作業。自分も1枚やらせてもらったけど破いてしまった(怒られた)。それに、粘土で作った手の原型の周りに繊細な葉脈を糸で繋ぎ合わせていくという作業は、もはや誰にでも真似できるレベルではないです。近目で見ると作りはまだまだ荒いけど、立派な作品です。






「JKカルタ」。卒業制作。
女子高生が自らの「女子高生ブランド」という商品価値に気がつき、それがなぜかカルタという方向に突き抜けてしまった作品。女子高生自身が、女子高生を題材にして作品にするというメタ的な視点が面白い。

こういうのって、AKB的な方向(男性的視点が強く、性的なもの)にいっちゃうと思うんですよ。でもこの作品で表現されている女子高生はあくまでポップで健康的。そこがとても良いと思ったし、価値がある。女子高生の現実がこの作品にはあります(?)。「女子高生はカワイイものが好きだからマカロン」みたいなデザインの仕方も面白い。

ただこれ、五十音全部できてないっぽくて、未完成なんだよね…。まぁ、そんなことに気がつかせないくらい勢いがあるからいいけど。あと、この学生も自分の担当だったんだけど、作品の全貌をみたの展示当日だからね。俺必要あったのかって話ですよ!






「再生」というインスタレーション。これも卒業制作。

わかりにくいアングルの写真しか撮影してなかったんだけど、歩いている足の軌跡に花が咲く…ということが表現されている作品です。

大きさは高さ1mくらいで、長さが1.5mくらい?結構大きい。足(スタイロフォーム)と花(水に濡らすと自由に形をつくれる紙)の完成度が高い。台座を半透明の板を曲げてうねりのある処理にしたことで、軽さと動きが出てる。大学の卒業制作でも通用しそう。







「ストーリは居た」。前の3作品はデザイン系の学生で、これは絵画系の学生の卒業制作。ファインアートだとこういう自分の内面世界バリバリみたいのも好きです。


たぶん、後半に続きます。

IZU PHOTO MUSEUM  木村友紀「無題」


あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
当ブログの今年の目標はステッカーを作ることです。
その気になれば1週間で達成できますね。



さて2011年一発目の美術館はIZU PHOTO MUSEUMで木村友紀の「無題」を見てきました。
(ちなみに昨年は横浜美術館で束芋「断面の世代」だった。)

3連休のうち2日間をなにもせずに過ごしてしまったので、1日くらいは…と思ってIZU PHOTO MUSEUMへ。
熱海のもうちょっと先、三島という駅から無料送迎バスで20分くらいです。
都内からだと鈍行で2時間半くらいって感じですかね。
新幹線使えばさらに1時間くらいは早いです。


IZU PHOTO MUSEUMがあるクレマチスの丘という場所は、ほかに「ヴァンジ彫刻庭園美術館」「ベルナール・ビュフェ美術館」「井上靖文学館」などの文化施設があります。
あとはレストランも4つくらいあって、自然と芸術と食事でゆったり休日を過ごすっていう、小金持ちのインテリが好みそうなアートリゾートです。
と皮肉っぽい言い方ですが、空気が澄んでいるし、レストランは美味しいし、いい場所ですよ。

1年半〜2年くらいまえかな?
以前来たときはまだIZU PHOTO MUSEUMはできてなかった。
なのでクレマチスの丘は2度目だけど、IZU PHOTO MUSEUMは初めて。

IZU PHOTO MUSEUMの建物は杉本博司の設計っていうから楽しみにしてたんだけど、これがまた凛とした建物ですごく良かった。外から自動ドアを挟んで内部まで途切れなく続く石畳、直島の護王神社で使われている純度の高いガラス(たぶんカメラのレンズで使われる光学ガラス)を使ったベンチ、石を積み上げて作った坪庭など、杉本博司イズム溢れる建築です。



前置きが長くなりましたが、木村友紀の「無題」(←これが展示タイトル)も、とても良い展示でした。今回はおもに写真の展示だったんだけど、その写真の扱い方が不思議。

普通、美術館で写真の作品って壁に飾られているじゃないですか。
まあ、額に入れられてピシッと掛けられていたり、ティルマンスだったらテープやピンでペタペタ貼るにしても、それでも写真はだいたい壁に飾られてる。

それがこの展示では、写真が、写真と同じ大きさの台上に飾られていて(テーブルの天板がぜんぶ写真みたいな感じ)、しかも写真の上に石が置いてあったりする。
その写真には複数の動物小屋らしきものが点々と写っているんだけど、その写真に写った動物小屋と、上に置かれている石がシンクロしてくる。

あるいは写真の一部を隠すように、植木が置かれていたりだとか。

どこからが写真なのか…?いま自分がみているものは写真なのか…?って不思議な気持ちになる。平面と立体という次元の差異、または過去と現在の時間性など、とにかく色々と考えさせられてしまう。

でも、自分はその重力性…..重力を受け止めるように写真が存在してるのは初めて見た感覚だったから、それに一番驚いた。イメージではなく物質としての写真、というか。

あと印象的なのは、感光ミスをした2枚の写真をくっつけてスキャンで1枚にした作品。
写真だけみてもよくわからないんだけど、この作品の美しいところは、写真に反射した照明によって、美術館の白い壁が赤く染まるところ。よく見ると、水平に置かれた写真の上には変形したキャンドルが置いてある。
なるほど、ほんのりと赤く染まる壁はキャンドルの灯とイメージ的に重なるものがあるな…。と。


そして展示会場を出ようとすると、出口(入り口と同じ場所)の近くにガーゼのような白い布を被った台があることに気がつく。これは会場に入ったときにも気がついたけど、キャプションもないし、ただの白い台だったから、だいたいの人は無意識でスルーする。

でも、一通り作品を見て、もしやと思って目を凝らすと、ガーゼの下になにかがうっすらと見える。なにかはわからないくらい、本当に微かな輪郭線が…。
(ギャラリートークによると、ガーゼの下には天気の悪い雪山の写真があるそうです。)
つい数分前まではたんなる白い台だったものが、会場を出るときには違ったものに見える。当然白い台は数分前と変わらないままだから、見え方が変わったとしたら自分が変わったってことですよね。ヤラレタって気持ち。


ちなみに展示されている写真は作家が撮影したものではなく、どこかで誰かから偶然手に入れたり、海外で買ったりしたもの(ファウンドフォト=found photoって呼ばれてる)らしいです。


そんなわけで新年早々とても良い展示。
1月11日(この記事を書いてる翌日)に終わっちゃうけど、時間があれば行くといいよ、マジで。