水戸芸術館 大友良英「アンサンブルズ-2010 共振」

先週の日曜日、水戸芸術館に大友良英「共振」を見に行ってきました(会期終了)。
休日になにもしないのも勿体ないと思ってなにげなく家を出たんだけど、電車の中で「そういえば水戸芸術館って自宅から片道4時間くらいかかるんだった…」って気がついた。新宿⇄水戸間の高速バスが廃止になったのがちょっと辛いですね。とはいえ電車内で本(岡崎乾二郎「芸術の設計」)を読んだり、電車の待ち時間に立ち食いソバを食べたりして、プチトリップ気分でそれはそれで楽しみましたが。
駅前からバスで「泉町一丁目」というところで降りて(このバス停の目の前にある、あきらかに周りとミスマッチな店構えのルイヴィトンを見るたびモヤモヤとした感情が沸き上がる)、徒歩で水戸芸術館へ。水戸は雪で路面が凍結して怖かったです。
水戸芸術館に着くとちょうどパイプオルガンの演奏をしていました。土日によく演奏されてるらしいです。水戸芸術館にはこれまで数回訪れたことはあるけれど、すべて平日だったから聞くのは初めてだった。パイプオルガン、ずっと聞いてみたいなって思ってた。でも音が響きすぎてあまりキレイな音色とは思わなかったし、演奏されていた曲もそんなに趣味ではなかった。
で、大友良英「共振」の展示。
展示室にはカスタムされたレコードプレイヤーや分解されたピアノやドラム、スピーカやーポータブルCDプレイヤーが天井から吊り下げられていました。美術の展覧会のように展示室ごとに区分けされているというよりかは、すべての展示室を繋げてひとつの空間として扱っているように思えました。
レコードプレイヤーやピアノやドラムは、それぞれがランダムに音を奏でています。
音はメロディになっているわけではなく、ピアノだったら「ポーン」という音、ドラムだったら「タタタッ」という微かな音。レコードプレイヤーはガサガサ、カツカツという荒い音を不規則なタイミングで奏でているだけ。いつどこで音が鳴るかわからず、音がなったほうを振り向いても、すでにどこでなにが鳴っていたのか知ることは出来ません。
「音楽としての音」というより「周波数としての音」というイメージでした。
ピアノやドラム、レコードプレイヤーはどんな壁際に配置されていようとも、広い会場の中でそれぞれが中心に位置してるとも言えます。それはコンサートのように鑑賞者の前面に演奏者や楽器があるわけではなく、楽器の周りに人が集まるから。
それぞれの楽器が中心となって音を奏で、次の瞬間にはまた違うところが中心となって音が奏でられる。それらが繰り返されてひとつの空間を音で満たしていく。今回の展示に合わせて行われた市民による音楽パレードも含めて、それはまさに展示のタイトル通り「アンサンブル」だし「共振」でもある。
と、いうのが展示の説明。
クロージングライブがあるというのを当日知って、この機会に見てみようと思って夜までのこってみてみた。ライブは一カ所で行われるのではなく、会場内を複数の演奏者たちが移動しながら音を奏でるというもの。観客も自由に動き回りながら演奏を聞く。
正直に言えば、自分にはまだそのライブの魅力は理解できていません。
試みとしては理解できるけれど、じゃあ展示自体、演奏自体に感動したかと言われれば……。
いろいろ考えてしまってアーティストの演奏に没頭できない気がして。
大学時代、隣のクラスではかなり専門的なサウンドアートの授業が行われていたけれど、自分はいっさい共感できなかった。よくわからなかった。奏でられる音は心地良くなかったし、あまりに冗長に思えてた。サウンドアートの講義も聞いたりして、そのコンセプチュアルな部分は好きだったけれど、メロディのないノイズのような音を数十分も聞き続けることはできなかった。
それでもハマる人はハマってるし、なにか自分には理解できない魅力を彼らは知っているんだろうと思ってる。
この分野、まだ勉強中です。「わからないなら聞かなくていいよ」って言われそうだけど…。