2011 年 2 月

オペラシティギャラリー「曽根裕展 Perfect Moment」



オペラシティギャラリーで曽根裕の「Perfect Moment」を見てきた。
曽根裕の作品は先月メゾンエルメスでも見た

入り口では会場案内図だけ渡され、作品の細かい解説などはいっさいナシ。

曽根裕がどのような経歴をもったアーティストなのか、自分はよく知らない。
メゾンエルメスにしてもオペラシティの展示にしても、深い意味がありそうで、でも結局それがなんなのかはわからない。つまらないといえばつまらないし、そこに意味を見いだそうとすれば面白くはなりそう。「答えを提示するのがデザインで、疑問を提示するのがアート」という言葉に乗っ取れば、そういう意味ではすごくアート。

初期ビデオ作品の「ナイトバス」も「バースデイパーティー」も一目で面白さが伝わる作品ではなかった。しばらく見ていると、「ああ、こういうことか(もしれないな)」という作品だった。そして作品の背景を知ると、なるほどね。って。

今回のメインであるジャングル風のインスタレーションも同様に自分から意味を見いだしていくタイプの作品だけど、いよいよ真意がわからない。ジャングル、大理石、職人、人工と自然、観覧車…..作品から読み取れる様々なキーワードをくっつけようと脳みそをグルグル回転させても、わかったような、わからないような。

いわゆるコンセプチュアル・アート、リレーショナル・アートという括りなのかもしれないけど、ちょっと古いかもしれない。現代アートはそっからもう一歩踏み込んでる状況にあると思う。

そんなことを思って帰宅したら、Twitterでこんな記事が流れてきた。
『曽根裕展 Perfect Moment オープニングパーティに出席して』

何が正しいかはわからないですよ。
でも『ここ数年は正直申しまして何の進歩も向上心も感じられない「抜け殻アート」の見本という印象です』という言葉は展示を見た後だと納得しちゃったな。


そうそう、上の階のコレクション展の日本画がとても面白かったです。現代の日本画にあんまり良いイメージなかったけど考えが改まった。ああいう絵をみるとき、予備校で絵を描く経験をしておいて良かったってつくづく思う。

21_21 DESIGN SIGHT「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」



メディア芸術祭と同じ日に21_21 DESIGN SIGHTで「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」もみたんだった。

この展示に関しては「デザイン思考」というブログの「倉俣史朗の椅子は粗大ゴミか?」というエントリが面白いのでそちらをご覧になってください。僕がこの展覧会をみて消化不良だった部分をうまく言葉にしてくれてます。

と書きつつ、ふと、「そういえばちょっと前のpenの倉俣史朗の特集号買ってあったな…」と思って本棚みたら、あった。2008年7/15号。そこに「ミス・ブランチは、いかに生まれたか」という見開きページがあったから箇条書きして掲載します。

・ミスブランチは56脚限定。
・ミスブランチの販売権は文房具メーカーのコクヨが所持していた。
・プロトタイプはコクヨが所有している。
・イメージに合う花を探すため、スタッフが造花店から露店まで奔走した。
・アクリルの中に造花をいれて固める作業は失敗の連続だった。
・プロトタイプと最終的なデザインではアームの形が違う。よりシンプルな形が選ばれた。
・当初は本物の薔薇をいれる試みもあったが、アクリルとの相性が悪く実現はしなかった。

そして、もっとも興味深いのは
・倉俣史郎が「ミス・ブランチは偽物だから、偽物の花でいいんだ」と言っていた。
ということです。

上記リンクの「デザイン思考」にも記載されていますが、「ミス・ブランチ」という名前は、『欲望という名の電車』という映画のヒロインの名前に由来しているそうです。(どんな映画でミス・ブランチがどういう役なのかは私には観てないのでわかりませんが…。)

倉俣史郎は60年代に蛍光灯を仕込んだテーブル、80年代にLEDのテーブルやLEDが仕込まれた回路図柄(!)のカーペットなど、おそらく当時としてはかなり前衛的だったであろう作品を発表してる。

倉俣史郎の作品、パッと見たとき正直ちょっとバブルっぽいデザインだなとも思ったんだけど、デザインとアートの境界線上で表現してる危うさを感じてかなり興味深かった。「pen」には、倉俣史郎はアートという言葉を嫌って自分からは口にしなかった、というようなことが書いてある。しかも、自作についてほとんど語らなかったそう。だから「pen」の特集号は、様々な第三者の証言で語られている。でも、やっぱり「デザイン」という言葉とおなじくらい「アート」っていう言葉が出てくる。


倉俣史朗のデザインは、いまのシンプル路線のデザインに慣れている自分にとって相当刺激的でした。個人的に好きだったのは「クロック・ウィズ・ファイブ・ハンズ」という蝶が貼付けられた時計です。ポエティック。

エットレ・ソットサスは、ドローイングをもとに制作されたカチナ・シリーズがものすごく良かったです。5/8まで。まだまだやってます!

国立新美術館「メディア芸術祭」



もう1週間以上前だけど、国立新美術館で文化庁メディア芸術祭受賞作品展を観てきました(当然のことながら会期終了)。
この記事、帰ってきてすぐ書き始めたんですけど、どこから切りこんでいいのか全然わからなくて結局ズルズルと更新しないままでした。いま、勢いで書いてます。


メディア芸術祭に前回来たのは…いつだろう?
はっきり覚えてるのは6~7年くらい前かな?そのときのメディア芸術祭はまだ写真美術館で開催されていた。その後も1回くらいは観てるはずなんだけど、まったく思い出せない。

6年前の自分はアート覚えたてみたいな感じだったので、アート部門の作品を見て「こんなんアートじゃない!」って憤ってた。それこそ村上隆の言うように「西洋のアートマーケットから外れている」から。「ただ光るだけじゃん!」とか「意味不明な音が鳴ってるだけじゃん!」とか「ゲーセンに行けばもっと面白いゲームあるじゃん!」とか。若かった。

でも、もはやそういう次元の話をしてる時代ではないです。もう2011年だし。いつまでも20世紀美術に縛られててもしょうがないし。
さもすれば「メディア芸術祭を観ないことには日本のアートは語れない」「ここに展示されているものが理解できなかったらクールじゃない」っていう無言の圧力さえ感じてますよ。

実際、アート部門に関していえば昔よりも表現が熟れてきてる気がします。昔は技術優先で、テクノロジーにアートやゲームのフタをしただけという印象でしたが、最近は技術と表現のバランスが取れてるんじゃないですかね?(単に自分が見慣れてきただけかもしれないけど。)

「そもそもメディア芸術ってなに?」ってのは藤幡正樹さんにまかせておくとして、ここでは感想をサラッと。

まず自分は会場に足を踏み入れて「女の子が多いし、みんなオシャレで可愛いな」って思いました。そもそも会場に人が多かった。「こんなにメディア芸術祭って人気なの?!」ってその注目度の高さに驚きました。

アニメや漫画、ゲームも展示されているせいなのかな?会場には高校生の姿もちらほら散見できました。カオスラウンジやら破滅ラウンジもいくたびに「若い人が多いな」って思うんだけど、今回のメディア芸術祭含めネットとの親和性が高い展覧会に若い人が集まるっていうムーブメントが今後どうなるのか興味あります。


個人的には作品はサキュバスっていう作品がわかりやすくて面白かったです。金属板が揺れる彫刻作品(アバウトな説明)。

アート部門の作品の中には、作品を鑑賞する時間よりもキャプションを読んでる時間のほうが長いんじゃね?っていうのもあった。作品2秒くらいみてよくわからなくて、キャプション30秒くらい読んで理解して、なるほどねって思って再度2秒くらいみて次に行く、みたいな。

別にそれが悪いというわけではないけど、ぱっと見で面白くてわかりやすいものは少なくて、ただでさえ人が多いし、「メディア芸術祭行ったけど人が多くてよくわからない作品ばっかでつまんねー」って思われたらやっぱちょっと悲しいよね。ま、自分はメディア芸術祭に縁もゆかりもないけどさ。

クワクボさんの「点・線・面」に行列ができてたのは驚きで、ICCでも無料で並ばずに観れるのに!って。やっぱみんなICCには行ってないんだな、と。

思い出横丁情報芸術アカデミーの2人と畠中実さん(ICC学芸員)のustで、ワールドカップのインタビューで長谷部が「Jリーグにも足を運んでください」っていうのと同じように、「(メディア芸術祭だけではなく)ICCにも来てください」っていうようなことを言っていた。

自分は学生時代はメディア芸術祭に対してふざけんなって思ってたくらいだから、ICCに対しても「早く無くなれ」って思ってた。当時の自分にはそれがアートとは思えなかったし、なにより「内輪ノリでワッショイワッショイ!」みたいな空気が嫌いだった。じっさいICCは1回無くなりかけたと思うんだけど、「やっとなくなるのか」って。(大変失礼な話をしています)

でも、そのうち知ってる人が展示するようになって、話を聞いたりしつつ改めてオープンな視線で見てみたら「あれ、けっこう面白いかも」って思い始めた。メディアアート界隈の人たちが話してることって面白い。いわゆる村上隆的なアートマーケットを見据えた現代美術の世界とはまた違ったものを表現活動に見ている気がする。


どーでもいいけど、この「期待と興奮の12日間」ってコピー、最初見たとき酷いなって思ったけど、なんつーか、いろいろ考えてるうちにこのくらい割り切ってるのも悪く無いなって思った。

東京都庭園美術館「20世紀のポスター〔タイポグラフィ〕展」



お久しぶりです。仕事が忙しくて更新できませんでした。
これから1ヶ月あまり、ほとんど無職のような日々なのでぼちぼち更新していきたいと思います。

受験生を送り出してしまえば、もはやあとは本人達にまかせるしかないので僕らの仕事は一段落です。
受験生が多摩美でグラフィックデザイン学科の平面構成の試験をしているころ、わたしは庭園美術館でタイポグラフィ展をみていました。

タイポグラフィ(文字を用いたデザイン)に焦点を当てたポスター展。
「あっ、みたことある」っていう有名な作品の現物も多く展示されています。
グラフィックに興味がある人は当然要チェックでしょうし、ここまでド直球にポスターを歴史とともに追った展覧会もそうそう行われない気がするので、やはり皆様も見ておいて損はないと思います。


実は自分がポスターに興味を持ったのもごく最近のことです。
大きな声で言えませんが、ほんの2年前くらい…(えっ…。)
きっかけはgggでマックスフーバーを見てからでしょうか。本で見るのとはまったく異なるスケール感とインクの発色に「ポスターって奥が深いな、面白いな」って感動しました。それまで本や雑誌でみていた印象とは全く異なる存在感が実物にあったんです。

年代物のポスターとなるとインクの色が褪せていたり、紙の色が変色していたり、それもまた魅力かもしれません。
目の前のフレームに収まったポスターが、当時はおそらくそれほど大切にされずに町中に貼られていたことを想像すると胸が熱くなります。近代絵画では個人の情念が強く出ますが、ポスターにはその当時の空気感が封じ込められている気がします。


受験生にはなるべく実物のポスターを見てほしいなって思っていて、それはやはり「実物にしかない」ものがあるからです。
ポスターは複雑なマチエールがないから図版でじゅうぶん……というわけでもない。実物の存在感を知ってほしいんですよね。作品が「そこにしっかりと存在してる感じ」を理解するのって重要ことなので。ポスターは大量に複製が生み出されますが、絵画の1回性に引けを取らない存在感があります。

で、今回発見した新たな楽しみ方は、図録と実物を照らし合わせながら鑑賞する、ですね。(図録が大きい&ケース付きの場合は難しいかもしれませんが…。)
一周目は先入観なしに普通に見て、全部見終わったら図録を買って、また入り口に戻って今度は図録と照らし合わせながら見るんです。そうすると、図録化されるときに作品からいかに失われるものがあるかハッとします。

インクの発色は実物よりも当然鈍くなり、透明感は失われ、作品によっては実物と全く違う色に印刷され、細かなディティールは潰れ、図録は本当に展示記録または参考資料でしかなく、作品を体感することとは結びつかないな、と。
それでも今回のタイポグラフィ展の図録は、展示されている作品が全部掲載されているので助かります。展示が良くても図録がバカ高かったり、発売が展覧会開始の後だったり、図録が販売されないとかもあるので。


3月27日まで。