2011 年 3 月

金沢21世紀美術館「ホンマタカシ ニュードキュメンタリー」



金沢21世紀美術館で「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」を観た。
ホンマタカシの大規模な個展ということで、なかば義務感から日帰りで金沢まで行ったんだけど、東京のオペラシティギャラリーにも巡回するんだって。
それを知ったときは昨年末に金沢行ったばっかりだったから、「わざわざ金沢まで行かなくても良かったかな…」って思ったんだけど、金沢と東京で展示の仕方を変えるらしいから、「ま、いっか」って思った。

展示に足を踏み入れて「ん?」って思ったのは、桑山忠明さんというアーティストの作品も展示されていたこと。
同じ部屋にホンマタカシと桑山忠明の作品が展示されていることはなかったんだけど、21世紀美術館は鑑賞者が展示室から展示室をフレキシブルに移動できるから、展示室を移動するごとに2人の作品が入り交じってちょっと見づらかった。

狙いなのか、やむを得ない事情があるのかはわからないけど、最初なにもしらずに桑山忠明さんの彫刻を見て「あちゃー、ホンマタカシもとうとうミニマルな立体に手を出しちゃったかー(律ちゃん風)」って心の中でひとりドヤッてた自分が恥ずかしい。
展示されていた桑山さんの作品自体は格好良かったですよ。ミニマルアートって感じで。んまあ、どうしてもドナルドジャッドみたいだな、表現的にはちょっと古いのかな、って思っちゃうけど。


さてホンマタカシ展。
率直な感想としては器用だなあ、ということ。
器用ってべつに悪い意味ではないんだけど、「ニュー・ドキュメンタリー」という展覧会タイトルに対してあまりにもジャストミートな内容に感じられたから、「作品の読み方」があらかじめ用意されているような、やっぱ「写真」も「現代美術」もちょっとわかっちゃってる人なんだな、と。

特にそう思ったのは、最初の展示室にあった白い積雪にドリップされた鮮血(のようなシミ)を撮影した「Trails」と、アメリカンなファーストフード店の写真をシルクスクリーンで印刷した「M」、これらの作品は写真家というより美術家(アーティスト)としての立ち位置を意識したものに思えました。

いわゆる写真展といえば、額が壁に掛けられていて、そのなかに収められている写真を鑑賞者が眺める、という図式を思い浮かべるけれど、そういった既存の写真と鑑賞者の関係性で成り立った作品はなかったように思う。(先日みた木村友紀の「無題」もそういう展示だった。)

この展示がなんで考えさせられて、かつ面白いのかというと、写真の「表面」の感想を求められているからではなく、写真の「存在」、つまり写真とは何かということについて問いかけられているから。「写真」が果たして本当に「真を写すのか…」みたいな話はホンマタカシが書いた「楽しい写真」という本のたしか冒頭あたりに書かれていたはずで、この本はホンマタカシのことが大嫌いという人以外はきっと誰が読んでもそれなりに面白いはずなのでオススメです。余談ですが村上隆「芸術闘争論」など、有名なアーティストが美術史を踏まえたうえで本を書くと、さらに自分に有利になるような流れを作れると思った。



とはいうもののやはり写真ですから、写真の「表面」にマウントされた記憶、図像などのイメージは無視できませんよね。
個人的には「re-construction」という過去の作品を再撮影(雑誌などに掲載された過去の作品を、その雑誌「ごと」撮影し直す)し、本にして、それをインスタレーションとして積み上げるという作品が気になりました。

積み上げられた本は手に取って閲覧できるんだけど、濃縮90年代という感じでとても懐かしい気持ちになった。
自分が中学生のときにタワーレコードの雑誌コーナーで立ち読みしてたときの、あのころの記憶。
市川実和子とかが無表情でこっちを見てる写真とか90年代って感じ。

自分がホンマタカシを知ったのって中学3年生くらいのときで、そのころは美術なんて全然知らなかったけど、ファッション雑誌のsmartにホンマタカシの連載(「ホンマカメラ」)があって、変わった名前の人だなって思ってた。当時有名だったショップ店員とか、自分と同じくらいの年齢の制服姿の学生を撮影してて、やけに記憶に残ってる。その後もrelaxとかカルチャー系の雑誌でよく目にしてたし。

自分が中学生だった時(15年くらいまえ)からすでにホンマタカシは有名だったと思うんだけど、でも、ずっと自分が見てきた雑誌の中にいた人だから、勝手に親近感もってる。オペラシティギャラリーに巡回するのが楽しみ。