私感
今日が30才の誕生日です。
30才になったからといって突然なにかが変わるわけではありません。
でもやっぱ30代っていうと大した年齢です。
客観的に30才という年齢を考えたときに、自分がその年齢に相応しい生活や態度をしているかというとそうは思えません。
なので、30代になって何かが変わるというよりは、むしろ30代だから変えていかないとな、という気持ちです。
いま仕事で担当しているクラスは今年18才になる高校3年生の人たちです。
ということはまるまる12才差ということで自分と干支が一緒なんですね。
いまどきの高校生はみんな大人です。
さすがに三十路からみればまだちょっと幼い部分もあるけれど、基本的に真面目で、目の前の課題に対してしっかり取り組む。とても客観的に自分のこと見てる。自分が18才のときなんてもっとアタマ沸いてたから本当にすごいなあと思う。
自分が予備校通い始めた=美術の世界に足を突っ込んだのも12年前の高校3年生のとき。ちょうど一回りしたんだな、当時まだ幼稚園生だった子たちを指導してるんだなと思うと感慨深い。
美術の予備校を始めて訪れてから12年経ったけど、自分は3浪したし、学部4年通ってさらに大学院2年行ったし、それだけで9年。卒業してからは通っていた予備校やら地元の高校で働き始めて3年目。で、計12年。だからほんと、環境的には(ヤバいくらい)何も変わってる感じがしない。
まあそんな話はどうでもいいんだ。
学生時代(大学3年、6年前)のときの作品に今でもコンスタントにコメントが付く。
その内容はディスられてるものも多いけど、そういうのを含めて嬉しいことだと感じる。褒められてるのも、けなされてるのも、同等に嬉しい。
感覚としては、作り終えて講評会で発表した瞬間に完全に自分の手を離れた作品だから、もはや遠い昔に巣立った我が子を見ているような気分。「ああ、まだこの作品はどこかで生きてるんだな」と。
そのほかにもいくつかは学生時代に制作はしたけど、けっきょく自分が作品と言えるものはこれだけかな。
と同時にこの作品で失敗したと思っていることがある。
それはあまりにも実際の自分自身の経験を作品に使ってしまったということ。
自分自身の体験をそのまま作品化してしまうのは焼き畑農業みたいなものだ。
自分のなかの闇の部分、すなわち長年蓄積してきたコンプレックスを全て焼き尽くしてしまう。一度はやってもいい。それなりの作品ができるかもしれない。でもそれは一回やってしまうと次の作品を制作することは難しい。同じ手は使えない。おそらく次の作品まで10年なり20年なり時間がかかる。一発屋で終わることもあるだろう。
そういう制作の仕方ではプロにはなれないのだ。
いま自分が仕事で教えているのは主に受験生だけど、もし自分が大学生にアドバイスするとしたら「自分をテーマにした作品は絶対に制作するな」ってこと。もっと「技術」でモノを作れって。自分を作品に使うのは自分を消費していくだけだぞ。
いいたいことはまだあるけど、いいや。
いま朝の4時半なので寝ます。