2012 年 1 月

乾き(目の)


このあいだ読んだ「先生はえらい」って本が面白かったので、Amazonで「身体知 身体が教えてくれること」って本を買ってササットと読んだ。

三砂ちづる(『オニババ化する女たち』の著者)さんとの対談形式。7年前の本。
おもに出産や結婚、子育てのところが面白かった。大学時代の知り合いがさいきん結婚したり出産したりしていたり、家にはつねに姪や甥がいるもので。
まあまあ面白かった。女の人のほうが読んで楽しい本かもしれない。



今日も高校の図書室をフラフラしていたところ一冊の本が目に留まった。
表紙の淡いトーンに引かれて手にとったのは「草子ブックガイド」という漫画。
表紙を開いた瞬間から「自分がなにかを求めているときにちょうど求めていた本がみつかるあの感覚」が身体に走った。

エッチングで描かれた銅版画のような絵と、本に対する愛に満ちあふれた内容。
ブックトークや山月記のくだりは電車のなかで泣いた。すばらしすぎる。メディア芸術祭マンガ部門でいつか受賞しそう。



自分が浪人を重ねたのは、単純にやる気と努力する才能がなかったことと、当時私立の美大に行くお金がなかったことだが、もし自分がうっかり現役で美術大学にはいっていたらどうなっていただろう?
いまだったら倍率1倍台…というより定員割れしているところもあるので、学校を選ばなければすんなり美大生にはなれる。

おそらく自分なんかが現役でポッと入学していたら現代美術のことも知らないまま、なんで美大にいるのかもわからないまま過ごしてしまったかもしれない。ぼくは浪人生活の中で最後のほうちょっとだけ大人になれた。浪人したくないと高校生はいうが、結果的に「浪人しなくて良かった」とおもう浪人して入学した美大生はあまりいないだろう。あの時期に考えたことはのちのち何かに繋がってくるだろう。

もちろん志望校に現役で入学できるのは良いことだが、志望校に入れるまで挑戦できるのも大学受験の良いところ。もう少し腰を据えて美大受験に望めば…と思うときもあるが、この不況の時代にそうもいきますまい。



今日は雪が降って寒かった。
自分の世界に閉じこもっているとそういうことも書き忘れそうになる。

夢眠ねむより眠い俺


gggで田中一光。
ここに多摩美のグラフィックデザイン学科の入学試験における、ある種の「正解」が集約されている。
なのでもうずっと予備校で田中一光の模写とかやってりゃいーじゃんって思うんだけど、結局のところ真似するためには田中一光の良さを理解しなければいけない。それに全員がべつに田中一光を目指すわけでもないのでmuzukasi.


いまの職業における自分の半端さを感じる。
もし予備校講師としてプロフェッショナルになるのならばもっと捨てなければいけないものがある。
それはたとえばこのブログ。己にはやはりまだ表現したいという未練があるのでは。僕が「プロだな」って思ってる何人かの予備校の先生はきっとブログとかやってない。



先日のパパタラフマラ。
小池さんは3.11の後にパパタラの解散を発表したわけだけど、アフタートークで「これまではなるべく発言しないようにしてきた。けれど最近はそうも言っていられなくなってきた。発言していきたい」と言っていた。具体的に解散後なにをするのか質問してみた。
そしたら「本を書きたい」って言っていた。



ちょっとネガティブな記事から今年のブログはスタートしたが、なんだかんだで今年はいろいろ観ている気がする。この勢いで海外とかいけたらいい。作品をつくるかどうかはわからない。

トッポ腸うまい


このあいだ「けいおん!」の映画をみた。映画版だからといって劇場版ドラえもんやクレしんのように登場人物がいきなり覚醒することもなく、いたって普段通りのけいおん!だった。それがすごい。海外旅行したくなった。

このあいだまでやってたアニメでいえば輪るピングドラムが面白かった。ウテナはもとより、エヴァとかレインとか90年代アニメを引きずってる感じ。ちはやふるは激アツ。普通に毎週面白くてビックリする。
フェイトは高校生に人気が高いようだが、盛り上がる直前で4月に持ち越しでまだなんともいえない。ギルティクラウンはなんだかうだうだやって女の子の顔が紅くなってピカーッと光って解決みたいな。Eテレの再編集版「日常」は…どうだろ。日常特有の「間」みたいなものがなくなってる気がするが。

いま放映してるのだと「戦姫絶唱シンフォギア」がいろんな意味でクソ面白い。



このあいだメディアアートは閉じている、とかサラッと書いてしまったがじつはメディアアートとかぜんぜん知らない。
まあ閉じているってい思うのはたとえば今回の学生CGコンテストで四方さんが多摩美の学生に賞をあげたりっていうことかな。メディア芸術祭やあのへんのコンテストの受賞者が結果的に多摩美とかそのへんで固まってたりするようなイメージ。グラフィックデザインでいうADCのような内輪っぽさ。個人のアーティストとして存在してるっていうか、全体でメディアアート同好会っぽい。アートならアートでいい。そこにメディアとつける意味は……って大学二年生くらいで考えそうな内容ですいま千円。



教えることは難しい。
言葉で伝えてすぐにできるようになればいいのだけれど、そう上手くもいかない。
ひとりひとりに時間を割くとしても最低30分~1時間はかかる。本当は何時間でも何日でも、もっと話し込まなければいけないのだろう。
デキる講師はもっとデキるんだろうな。
母さんわたしは無力です。
そうも言ってられない時期ですが……。



トッポ超うまい。


ではまた。

かたこり

近々解散をするパパタラフマラの「島」をみたり、ガスヴァンサントの「永遠の僕たち」をみた。
良かった。
7年くらいまえのことを思い出した。


受験が近いのでまた不定期更新になるかも。
いろんな感情を燃やして受験のためのエネルギーに変換します。
おやすみ。

ではまた。

先生はえらい

先日(ひとつきくらい前)に内田樹「先生はえらい」という本を読んだ。高校の図書室で何気なく目についたので借りてみた。

「先生はえらい」というタイトルの本を教員が借りるのはアレだけど、内田樹という著者がこのようなタイトル通りの内容を書くわけがなく、ひとことでいえば「先生とはなにか」ということについて書かれていた。

全文引用したいくらい面白い本なんだけど、いくつかセンテンスを抜粋。



尊敬できる先生というのは、「恋人」に似ています。…(略)…恋愛というのは「はたはたいろいろ言うけれど、私にはこの人がとても素敵に見える」という客観的判断の断固たる無視の上にしか成立しないものです。



学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません。
何を言っているのか全然わからなかったゆえに、あなたは彼から本質的なことを学ぶことができたのです。



私たちに深い達成感をもたらす対話というのは、「言いたいこと」や「聴きたいこと」が先にあって、それがことばになって二人の間を行き来したというものではありません。そうでなく、ことばが行き交った後になって、はじめて「言いたかったこと」と「聴きたかったこと」を二人が知った。そういう経験なんです



「失敗する仕方において私たちは独創性を発揮する」


300万円のロレックスって「どうして?」と思うような価格設定ですよね。1万円のスウォッチでも「時間を計る」ということについてはまったくオーケーなわけです。じゃあ299万円は「何の値段」でしょう?
ロレックス社が積算根拠を顧客にあきらかにしたらどうおもうでしょう?「これだけ手をかけているのか。これなら300万円でも少しも高くない」となると、もう誰もロレックス買わないですよ。だって「高くない」んだから。
交易が継続するためには、この代価でこの商品を購入したことに対する割り切れなさが残る必要があるのです。交換をするのは有用な財を手に入れるからではなく、交換することそれ自体が愉しいからである。これが私の考えです。



そして印象深かったのが、

先生は卓越した技術や知識をもっている必要がない。その人がいったい何を知っているのか私たちには想像が及ばない先生、「先生の中には私には決して到達できない境位がある」ということに実感するときにのみ弟子たちは震えるような敬意を感じる。

夏目漱石が「先生」の条件として挙げているのは二つだけです。一つは「なんだかよくわからない人」であること、一つは「ある種の満たされなさに取り憑かれた人」であること、この二つです。




などなど。
いまこの記事書いてるの、家を出る数分前とかでぜんぜんうまくまとめられてないんだけど、「先生はえらい」気になった人はググってみてください。

ではまた。