2012 年 3 月

情報デザイン学科のこと

前々回、情報デザイン学科の卒業制作について、あまりポジティブとはいえない内容を書いてしまった。しかし、情報デザイン学科については自分の出身学科ということもあり、ある程度の内情は知っている。そしてまた、今なお大学受験というかたちで大学と携わらずを得ない自分の職業もあって、今回は自分がどう情報デザイン学科を見てきたのかを書きたいと思う。



自分が情報デザイン学科に進学したのは、情報デザイン学科しか合格しなかったから….というのが客観的な事実であり、そこに関して誤魔化すつもりはない。予備校のアドバイスにより併願した、より倍率の高いグラフィックデザイン学科や、東京芸術大学に合格していたなら、そちらに進学しただろう。

しかしあれから10年近く経ってみて、やはり自分にはあの学科しかなかった。もう少し具体的に言うならば、あの学科を受験すること以外には大学生になることはできなかっただろうと思う。

3浪して情報デザイン学科というのは周囲からみれば不思議というか、よくそんな恥ずかしいことできるな、という見方もできるかもしれない。当時の多摩美デザイン科の中で最も倍率が低く、実際、当時予備校で落ちこぼれた人々が合格していた現状と、先見の明があり過ぎの…..つまり時代とはそぐわない……カリキュラムのおかげで「グラフに合格できなかった者たちが集まる場所」だったからだ。



2浪目で芸大受験に失敗した。
今から思えばそれは当然の結果だったように思う。本気とはいえない態度でのぞんでいたのだから。ひとことでいえば受験から逃げていた。

3浪目に突入するときに、初めて受験について真剣に考えた気がする。
自分がやりたいことはイラストや広告を作るようなことではないかもしれないこと。
芸大の受験という名目とともに人生のいっときを捨てたくないこと。
そして同時にこのときやっと私立美大に行くための金銭的な目処がついたことも大きい。

タマビの学科紹介のパンフレットをめくっていて、いちばん興味を持ったのが多摩美の情報デザインだった。それは学科紹介に書いてある文章が、いちばん抽象的で意味が分からなかったからだった。

他の学科はもっと具体的にカリキュラムが書いてあったのだが、情報デザイン学科は「これからわたしたちでこの学科を作っていきましょう」というようなノリだった。いちばん決め手になったのは学科紹介文のなかで「哲学」という言葉を使っている唯一のデザイン系の学科だったことだ。

もう受験実技には辟易していたし、倍率も低く、浪人生のなかに情報デザインを受けようという人もほとんどいなくて、よくわからないけどその場所に飛び込んで一から勉強すればいいと思った。当時は「情報デザイン(笑)」という風潮は強かったが、そのマイナーなところに魅力に感じ、自分には合っているかもしれないと思った。



デザインコースで入学し、途中で専攻を芸術コースに変更した。そのまま大学院まで行った。

情報デザイン学科は良くも悪くも自分次第だ。自ら吸収しようとする人にとってはとても恵まれた環境だろう。課題のペースには比較的ゆとりがある。そのぶん、なにもせずただ漫然とした4年間を過ごすこともできてしまう。

いま、その場所に学生をおくりこむ職業の立場として不安になることは、卒業制作のクオリティに個人差が開きすぎていることだ。

最終的に美大の各学科を評価するのは、卒業制作の平均的なクオリティだと思う。

タマビのプロダクトデザイン学科が優秀と云われるのは学生の平均レベルが高いからで、それは教育が行き届いていることを意味している。グラフィックはまちまちだけど、それでも個々のレベルは平均的に高いだろう。ムサビの基礎デは、昨年の卒業制作の質が全体的に高く驚いた記憶がある。もはや基礎デは教授陣の豪華さのみに頼った人気ではないのだ。

較べてみれば、多摩美の情報デザイン学科の卒業制作のクオリティは、デザインコースも芸術コースも平均的にみればもう一歩という印象だ。よい作品はよいのだけど、よくない作品、荒い作品が目立つため、そういった作品に全体の印象が引っ張られている。客観的にみると、やはりちょっとまだ不安定な学科にみえてしまう。


というわけでもし情デの人がみてたら頑張ってください。
ぼくはもう卒業してしまったので完全に自分のことは棚にあげて書いてます。ごめんなさい。





余談だけど実技参考作品集にデッサンと視覚表現が両方掲載されたとき「いままでの長い浪人生活は意味があったんだなあ」と思えました。同時に、自分を認めてくれたこの学科に対して感謝もしました。

卒業制作優秀作品集にもなんとか載せてもらったけど、これは、まぁ……。
大学院修了論文作品集は修了すればだれでも掲載されます。
どれも作品としてはゴミみたいなもので、本気でやった人たちには申し訳ないと思ってるけど、入学、卒業、修了、いちおう全てこういった形で大学発行の印刷物に掲載されてること自体は、悪い気はしてません。まあ詐欺みたいなものですがね。

バタール

さいきんそこそこブログの更新頻度が上がってるのは本を読んでるからです。
この時期、仕事がそこまで忙しくないから本(特に小説)を読む余裕がある。
本から言葉を摂取すると、自分の中に溜まっていた言葉が外に押し出されてくる気がする。

さいきん読んだ小説は福永武彦「忘却の川」です。
福永武彦は作家・池澤夏樹の父であり、つまり声優・池澤春菜の祖父です。
2年半前にこの本を買ったんだけど、最初の数ページを読んで「なんかいまはこの本を読むタイミングではないかも」と思ってずっと放置してました。

全七章からなるこの小説は、各章ごとにそれぞれ異なった登場人物の一人称(独白)で語られながら物語が進展していきます。そのなかに三十五才、妻子持ちで美術評論家の男性が主人公の章がある。個人的に印象的だった文を引用します。



一日が始まり、やがて彼は無数にいる都会人の一人として街に出て行くだろう。無数にいる文化人の一人として、そのための特別の意義を感じることもなく芸術を見たり論じたりするだろう。無数にいる知識人の一人として、無益な思弁を弄し埒もない分析を重ね、生きていることの証明を自らに強いるだろう。

もしも人生に変化というものがあるのなら、革命でも戦争でも何でもいいからそれが欲しいと思わないわけではなかった。この日常のなまぬるさから抜け出せるならば、その報いは死であっても我慢してもよいような気もした。しかし彼はこのなまぬるさ、この安楽な気分、この平和が好きだった。(略)

十年前に感じ、呼吸し、生活していた情熱はそれがかつては確かに自分の中で生きていたにもかかわらず、今ではまるで他人の経験のような気がしていた。そして十年後の自分の姿は、ただの空想にすぎないのに、今の自分と少しも違わない乾からびた存在にきまっているようだった。

何かが自分を変えてしまった。現在に至るまでの間に、少しずつ何かが加わって行った。加わったものは分別だろうか、生きることの技術だろうか、生活力といったものだったろうか。消えたものは若さの持つ無鉄砲だった、がむしゃらな信念だった。自分への誇りだった。いや消え失せたものは沢山あった。加わったものの少さに較べれば。





彼の章は上記のような独白から始まります。

そして彼は自らを「氷に捉えられた葉」と比喩します。外の世界は風が吹き、冷たい空気が思椎を喚び覚ます世界があることを知りながら、自らは氷の中から外へは出ることができない。しかし、その氷の中でぬくぬくとしていることにもまた満足している自分がいる、と……。

彼は後半、とある画家との会話でこう言います。



僕だって批評家の存在を認めないわけじゃない、自分だってその一人ですからね。ただ批評家という商売は、肉を仕入れて来てソーセージを作っているような気がするんです。混ぜもののソーセージをね。一体批評家というのは、自分で実作を試みる必要はない、他人の作品を材料にごたくを並べていればいいことになっていますが、僕は実作者と批評家の違いは、子供と大人、或は青年と中年との違いじゃないかと思うことがあるんです。

実作者というのは、つまり子供がそのまま持ち越されて大人になった人間です。子供というか、青年というかそのよさですね、つまり好奇心とか、情熱とか、生命力とか、無鉄砲とか、野心とか、そういったものをいつまでも保ちながら年を取る。
批評家の方は初めから大人です、分別もあれば知識もある。詮索好きで、おせっかいで、偉そうな顔はしているが、肝心の若さを見失っている、心のなか、魂のなかにある純粋さを理解できないで、言葉の綾でつくろうだけです。これは少し極端な言いかたですがね。




彼は章の最後で、ショーウィンドウに飾られた硝子の城を見つめながら《この硝子の城のように、ただ光を反射するだけになってしまった。己は硝子の城に住んで、他人が愛したり生きたりするのを、批評家として眺めるだけの、つまらない人間になるだろう》と考えます。そして、そのショーウィンドウの先にある地下鉄の入り口の階段を下りさえすれば妻子と暖かい夕食が待っている自宅に帰れるはずだけども、その地下鉄の入り口の側を通り抜け、そのまま先のほうへ歩いて行くところで彼の章は終わります。

自分は批評家でもなければ妻子持ちでもないけど共感する部分がありました。
おわり。

シークァーサー

書きたいことはあっても、まとめる時間がない。ので日記。



予備校は1年のサイクルだ。
受験がおわり一段落つくと、すぐに美大受験のスタートイベントである春期講習が始まる。
この時期はまさに春期講習たけなわであり、ある意味では入試直前と同じくらい重要で、同じくらい疲れる。

「ひぐらしのなく頃に」で登場人物たち何度も繰り返される人生の中でモガきつつも微妙に前進していくように、予備校は前年度の反省を生かし、全員第一志望合格とか、全国一とかさらなる発展を目指して、より良い環境にすべく指導方針やカリキュラムを改善または微調整していく。


春期講習の指導の傍ら、教室に置いてあるカルトン棚をふとみると、昨年の(といっても2ヶ月ほど前まで指導をしていた)学生たちの名前の書いたシールが貼ってある。

今年度から職場環境が若干変わったため、この春は例年より事務がバタバタしており「そうか、忙しくてこういうところに手が回ってないのだな」と思い、事務に代わって自分がシールを剥がしていた。ひとりひとりの名前をみつつ、「よくもまあ合格していったよな」と考えながら、少し寂しい気分にもなった。

昨年度(このあいだの受験)で合格した学生も、春の入学当初はポカンとした目をしておぼつかなく「本当に大丈夫だろうか」という気持ちだったのだが、入試直前になるとほとんど阿吽の呼吸で言葉が伝わるようになる。学生に対して抽象的な言葉や感覚的な言葉をほっぽっても学生はその言葉を汲み取って解釈し、作品にフィードバックしてくれるようになる。

この春から本格的に受験を始める学生たちを目の前にしつつ、昨年度合格していったの学生たちの名前をみると、また今年いちからコミュニケーションを育てていく気苦労と、やはりなんだかんだいって彼らはたくましく成長していたのだと感慨深く、予備校講師という仕事の意味をまたひとつ知ることになるのである。


自分は仕事においてこういった感傷的な感情をなるべく持ちたくはなく、学生が大学に入学するまでサポートをするのが自分の役目なので、終わったことに関してできるなら考えたくはない。とくにこうやってパブリックなワールドワイドウェブに、職業的な自分の心情を書き連ねることはあまりにもダサく、プロフェッショナルな行為ではない。しかし、現にこうやって書いてしまっているということは、誰か伝えたいということでもあるのか。



とかちょっと真面目っぽい文章書いたんだけど、全部嘘です。
ちょっとお酒がはいってるだけだと思う。
このお酒は安くて(100円均一ショップで売ってる)アルコール度数も7%とけっこう高いので、最近良く買ってる。できるだけ安く酔いたいけれど赤いパック酒にはまだ手を出さない。

多摩美術大学卒業制作展

多摩美の学内で行われている卒業制作展に行ってきた。
最終日ということで展示は15時まで、さらに仕事と仕事の合間に行ったため、実質1時間程度しか見ることができなかった。というわけで見たのは情報デザイン学科と油画科だけ。

まず情報デザイン学科。
デザインコースも芸術コースも今年は学外展を見に行けなかったので、こうやって学外と学内で2度卒業制作を見るチャンスがあるのは嬉しい。

学科によるのかもしれないが、デザイン系の卒業生にとって学内展示はほぼオマケみたいなもの。
学外展に照準とテンションを合わせてるので、意識のうえではきちんとやりたいとは思っていても学内展のころには気力が残っていないのが現実。

だから、展示に荒さが見えても、会場が葬式のように暗くても文句を言ってはいけない。
だから、展示に荒さが見えても、会場が葬式のように暗くても文句を言ってはいけない……。




デザインコースは、Macがずらーっと並んでいた。
ああいうのってあんまり積極的に触ってみたいと思わない。キャプションを読んでもどういった内容のものなのかまったく掴めないから、内容の善し悪しとはまったく無関係に、知り合いだとか、よほど目につくとか、パッと見でわかりやすくなければ、スルーされてしてしまう。

目についた作品を何点か操作してみるものの、あまり操作性が良いとはいえない。恐る恐るマウスを触ってみるが、自分のペースで読み飛ばせない、クリックする場所がわからない、いつ終わるのかわからない。作品の内容のまえに、導入部分でうまくいってない。

また、漫画やアニメに影響を受けたイラストが多用されている印象があった。それがいけないわけではないのだけど、そこでこのテイストを出すのか、とやや安易な印象をうける。受験において、デザインコースの採点ポイントは「丁寧な作業」「清潔感のある色彩」といったところだが、近年はポイントがはっきりしすぎて人選が偏っているのかもしれないと感じた。





芸術コースは、良い作品は良かったし、ちょっと微妙だなっていうのも玉石混淆。
何が玉で何が石かは、見る人によって異なるとは思う。

微妙っていうのは、なにを目指しているのかわからないっていう意味です。
デザイン科のなかの芸術コースということで、その曖昧なポジションこそがこの学科のアイデンティティでもあるわけだけど、いろいろできることが、逆にネックになってるのかもしれない。

見せ方はどの作品も器用だし、よく知っている。アートっぽい。見た目はアートっぽいんだけど、ちょっと表面的。
本気でアーティストになるわけではないけど、アート作品を作った。という感じもする。

でもま、自分の周囲をみていても、卒制は関係なく卒業後はみんな会社員だったりフリーだったりでたくましくやってるから、そういう経験は意味があるのだと思う。自分に表現は向いていない、と悟って次のステップに移るパターンもあるだろうし。

ただ、学科としてもうちょい方向性というか着地点はあってもいい気はする。ぶっちゃけ三流大学(失敬)っぽい作品もあって、受験生が見に来たら不安になるんじゃないかと心配。


このへんのことはまた改めて。


すっごいネガティブなこと書いたけど、卒業制作って難しいよね。超わかる。
ここで書いたことは、作品や作者に向かってというよりもむしろ、学科としての教育のあり方について考えていることです。



情報の展示をみたあと、モヤモヤした気持ちで油画の作品をみたら、すごく良くみえた。
どの作品も金にはならなそうだし、一生作家としてやっていけるのはごく少数なんだろうけど、自由でいいなと。
なんていうか、ホッとした。

油画科は展示場所がいい。自然光が入るアトリエで、無駄なものがなくて、でも適度に汚くて、その汚さは過去から現在までの芸術に青春を捧げた若者の記憶であり、五美大展の国立新美術館よりも作品が良くみえる。

多摩美術大学2010年度っていうか2011年度グラフィックデザイン学科卒業制作展

今年も懲りずに多摩美術大学のグラフィックデザイン学科の卒業制作展に行ってまいりました!
昨年度の記事はこちらです。

昨年度の記事を読み返すとかなり恥ずかしい。
でも、あそこに書いたことは当時の率直な感想です。それは昨年度だけに限った話ではなく、以前から、それこそ大学に入る前から薄々感じていたことでもあります。

多摩美のグラフィックデザインと言えば今も昔も大学を代表する花形学科。
デザイン系の受験生とってみれば憧れの学科です。僕も受験生時代は漠然と「すごい学科なんだなあ」と思っていました。しかし大学に入学し、グラフィックのカリキュラムのことや卒業制作を横目で知るにつれて「でも本当にそこまでみんなが賞賛する学科なのか?!」って思うようになりました。




昨年度の多摩グラの卒業制作展(2011年)を観に行ったあと、上記のような出だしで文章を書きはじめました。
わりとダラダラと書き進めてしまって、文章としてまとまらなくなってどうしようって思ってた矢先に地震がきてしまった。その後ずっと手を付けずに下書き保存のまま今日に至ったわけです。

ずっと未公開フォルダに記事が残ってて気持ち悪かったんだけど、公開できたのでやっとスッキリ。
(本当は上記の文章のあとに3倍量くらいのグチが続いてたけど、読み直したら共感できない上に稚拙だったのでカット)

というわけで今年も懲りずに多摩美術大学のグラフィックデザイン学科の卒業制作展に行ってまいりました!


今年の感想は……良かった!
場所も展示されている作品もそんな例年と変わらないけど!
見るほうにも作るほうにも漂う、先鋭的な何かを求めてるわけではない感のマッチング?
それなりのクオリティものがならんでる感?
自分がグラフの卒展に慣れただけかもしれないけど、悪いとは思わなかったです。良い作品もあったし。

ただ、まあ、グラフィックデザイン学科に進学する人は、みんな努力ができて、かつ高い技術力を持ってる人たちなんだけど、同時に色々なジャンルのものを吸収する柔軟性と、物事を判断する批評性も養ってほしいなとは思う。でないと、この世にすでにあるものをただ焼き直して終わる。気がする。ぼくグラフィックデザイン学科じゃないから偉そうなことはなんともいえないけど。
でも、あの180近い作品の中から、いいな、とおもった作品はやっぱり独創性があった。


あと、このちょっと前にスパイラルでやってたテキスタイル学科の卒業制作もチラッとみてきたんだけど、それも超良かったです。どの作品も作業量が多かった。
自分たちのころはどちらかといえばアートとデザインの垣根なんかないんだよ、というような流れだった気がするけど、今はまたそれぞれの立ち位置っていうのがハッキリしてきたような気がします。それぞれの学科ごとに専門性を大切にする方向に戻ってるというか。


は〜、仕事でも受験生相手に偉そうなこと言って、ブログでも偉そうな文章書いてると自己嫌悪でゲロ吐きそうです。
好きでこんなひねくれた文章書いてるわけじゃないんだよ俺は!

おやすみなさい。