2012 年 4 月

ART VIRUS 日本グラフィック展1980−1989、アーバナートメモリアル



「この本について改めて書きたい」と書いてから丸2年経ってしまった…。

「ART VIRUS 日本グラフィック展1980−1989」を改めて読み直したところ、新たに考えたことやわかったことがありました。さらにインターネットで詳しく調べようとしたら「ART VIRUS 日本グラフィック展1980−1989」の続編にあたる「アーバナート メモリアル」という本があることを知りました。

さっそく取り寄せて読んでみると、これがまた色々な発見がありました。しかしせっかく脳内で整理しかかってたことも、新たな知識が増えることによりまたゴチャゴチャになってしまったので、このままだとまた更新するのに2年くらい経ってしまいそう…。



以下自分用メモ

→70年代までアートとデザインはそれぞれ住み分けられていた。

→70年代の後半になるとコンセプチュアルアートやミニマルアートといった「芸術のための芸術」は行き詰まった。

→そこに登場したニューペインティング(新表現主義)が風穴を開けた。

→80年から日本ではイラストレーターとフォトグラファーの発掘を目的とした「日本グラフィック展」がスタートした。

→82年第3回「日本グラフィック展」において日比野克彦が半立体的なコラージュ作品で大賞を受賞する。

→翌年以降も「日本グラフィック展」への応募作品は増加していく。「日本グラフィック展」へ応募される作品は、日比野克彦の影響や世界的なニューペインティングブームもあり、芸術化していく傾向が出てくる。(この80年代初頭がアートとデザインの境界がぼんやりし始めた時代なんだと思う)

→同時代の作家を影響を受けたような表現もあれば、マチスやホックニーに影響を受けたようなもの、ベーコンやらカンディンスキーだのクレメンテだの、様々な作風の絵が「日本グラフィック展」へ応募される。

→日比野克彦の前例によりもはやグラフィックとはいえないレベルにまで立体化・物質化していく傾向に対応するため84年には立体作品のための「日本オブジェ展」がスタート。(87年には「オブジェTOKYO」に改称)

→身の回りのあらゆるものを素材にした「日本オブジェ展」は様々な表現形態を生み出す(受賞者に開発好明やヤノベケンジがいる)。一方で「日本グラフィック展」は85年に応募点数は過去最高とピークを迎えるものの、なにかの模倣のような作品が増え、表現的には少しずつ行き詰まりをみせる。

→91年、「日本グラフィック展」と「日本オブジェ展」が終了する。翌92年から「アーバナート」(URBANとARTを合体させた造語)スタートする。99年までの終了までに長島有里枝、さとうりさ、立花文穂、できやよい、田中偉一郎、成田九など、写真やデザイン、アートなどの様々な分野で現在でも活躍する人たちが受賞する。



91年になるとレントゲン藝術研究所ができて現代美術が活発になっていく。そこで村上隆やヤノベケンジ、会田誠といった現代美術家たちが登場し、現在の日本の現代美術の状況を作り上げている。

そもそも日比野克彦がグラフィックを3Dとして扱ったことでその後の「オブジェ展」「アーバナート」が生まれたことを考えれば、日本の現代美術における日比野克彦の影響はかなりでかい。

一方で、グラフィックは模倣の模倣が繰り返され続ける80年代的状況からどのように進化したか?
それはまだ勉強中です。



リアルタイムで追ってればこの時代のこと皮膚感覚でわかるんだと思うんだけど、自分はちょうどアートウイルスが始まった80年代の最初にうまれて、美術に興味持ったのがアーバナートが終了する90年代の終わりで、あんまわかってない。

椹木野衣氏の本をまた読み返すことになりそう。

オペラシティアートギャラリー「Beat Takeshi Kitano, Gosse de peintre 絵描き小僧」


オペラシティでビートたけしの展覧会をみてきた。

おととし、この展覧会をパリでみてきたんだけど、出展されている作品はほぼ一緒だった。違ったのは……世界まる見えのオープニングやお笑いウルトラクイズ(たけしが着ぐるみ姿で登場して観客席に害を及ぼすシーンとか)を編集した映像がなかったところ、展示会場の外の屋台に売ってるのが日本のお菓子じゃなくてオリジナルまんじゅうだったこと、会場限定のグッズ類が増えていたこと、とかかな。

展示をみた感想はパリで見た時とだいたい一緒。
絶対みたほうがいいっすよ!!
いろいろ面白い作品があるけど、やっぱ絵画作品が狂気じみててとてもいい。
「まじ、これ正真正銘のアートだわ…」って思った。


でも、やっぱパリで見た時のほうが感動した。
カルティエ現代美術財団のほうは自然光が入ってキレイだし、順路という順路もなくウロウロできたし、子供連れの家族がたくさんいて楽しそうだった。

なにより日本人の作品を日本でみるということと、海外でみるというのでは、意味合いが違ってくる。フランス人たちがムッシュ・タケシの作品や映像を目にして顔をしかめたり笑っているのをみれたのが面白かった。「このシュールさ伝わんの?!」とか「そこで笑うの?!」って思いながらフランス人の反応を見てた。同じ作品でも、見る場所や環境によって感じることが全然違う。


こういうブログを書いていて思うのは、いつもと同じ美術館に行って消化試合のように展示を見てるだけではそりゃだんだん感動もしなくなってくるよな、ということ。自ら求めていくことで得られるものがあるんだと思う。というわけでゴールデンウィークに村上隆の展示を観るためカタール行ってくることにしました。わたしはただの現代美術が大好きな貧乏なおじさんになろうとしています。

ももへの手紙



公開初日の「ももへの手紙」を観た。

ロリコンが喜びそうな描写が多々ありました。と書くと誤解されそうですが、当然そんな内容ではなく、全体的なクオリティが高いアニメです。おすすめです。

麦とホップ

自分が働いている予備校の経営母体が4月から変わった。
それに伴ってこれまで一緒に仕事をしてきた10人以上の職員や講師の人々と別れることになった。自ら去ることを選択した人、自分の意志に反して去らなければいけない人、とつぜん連絡が取れなくなった人(!)、職場を去った理由は様々だが、そのなかには自分が浪人時代に教わっていた講師も含まれていた。

これまでお世話になった人々とこのような別れかたをするのは寂しかったが、同時に、明日の我が身という可能性もある。なので感傷に浸っている余裕は無く、職場に残った者の役割としてさらに頑張っていかなければならないと思っている。



美術予備校はどこも厳しい時代だと思う。
少子化と不況に加え、大学は学科や学生の数を増やし続けているおかげで、大学に合格しやすくなったからだ。予備校的に一番の収入源である浪人生は年々数を減らしている。とくに大手の予備校は、これまで通りの校舎の大きさや講師の人件費を維持するのは苦しいだろう。いまよりもっと美大受験生が多かった時代に規模を大きくし過ぎたぶん、いかに規模を縮小してバランスをとるかが課題となっている。

働いている予備校の名前をググると、グーグル先生は「買収」という言葉をサジェストしてくる。説明会にて会社からは「買収」ではなく「譲渡」だと説明された。ここで詳しく書くことは控えるが、個人的には納得のいく説明だった。というより、納得いく・いかないという問題ではなく、私は末端構成員なのでどういった経緯なのかを本当に本当のところを結局知ることはできないのだ。どのような理由であれ、現状を受け入れるしかない。



なんにせよ、はっきりしていることは新しい会社が引き取ってくれたということだ。つまり、新しい会社が、美術予備校が利益になる可能性があると判断したということだろう。それは逆に利益にならなければその時は本当にあっさりと規模を縮小したり、切られたりするということでもあるのだが。

それで良いのだ。なぜならそれが資本主義下における普通の会社だからだ。

自分は相変わらず末端構成員で給与にも役職にも実質的にはほとんど変化がない。だが上場企業が経営母体になったことで、職場には良い意味で緊張感が生まれたと思うし、これまでより自分の職業が社会的に認められたような気がするのである。

我慢してる(トイレ)

仕事が始まると、やはりなかなか更新できないもの。
ピナバウシュの映画の記事も修正してないが、ほったらかしてる記事がけっこうある。
一昨年のパリ記が途中だったり、美大受験なうだったり、アートウイルスっていう本についてのこととか。
んまー、頑張ります。