2016 年 11 月

葬式

前回いろいろ書いたんだけど、直接話したほうが早ぇ!と思って、葬式の実行犯の人物と話してきました。

いろいろ話してくれたうえに1万円くらい奢ってくれ(干支ひとまわり以上ぼくより下です)、しかも0時を過ぎて解禁されたばかりのボジョレーをボトルで頼んでくれた直後、ぼくは終電でさっさと帰ってしまうという大変失礼なことをしでかしてしまいました。うける。

で、多摩美術大学芸術祭で行われた佐野研二郎氏の葬式についてわたしの口から言えることはなにもないです。
ほんとうはこのブログのネタになるかとも思ったんだけど…まあ。

ということでこの件に関しては、ひとまずぼくのなかで結着しました。

フィネラル

多摩美術大学の学園祭において行われた佐野研二郎のパフォーマンスについて思ったことまとめ

・パフォーマンスを行っていた学生は予備校で教えたことがある。
・彼はオリンピックエンブレム問題以降、一貫してサノケンをネタにし続けていた。たとえば昨年の芸祭ではサノケンの手作りの人形を売りさばいたし。
・彼の性格を考えればこういう社会を敵に回すようなパフォーマンスをすることは不思議なことではないなと思った。
・真面目に予備校に来て制作をするタイプというよりは、自分たちが浪人してたころによくいたちゃらんぽらんなタイプ。作品が面白いというより人が面白い。
・話題になる前にTwitterで葬式の様子をみたが、個人的にこれは炎上するかもなーと思った。そしたら数時間後にはすっかり燃えあがっててウケた。

・学園祭という場で行われたことを拡散され好き勝手袋叩きにされるのはちょっとかわいそう。
・でも、すでにそういうリスクを考えなければいけない時代ではあるから、行ったことに対する責任はある。

・常見陽平とか、識者と呼ばれる第三者がいきなり問題にダイブしてくることによって面倒なことになってる。
・いまから20年前、神戸児童連続殺傷事件のとき、テレビのコメンテーターが犯人や15才くらいの年代の子たちに寄り添うことなく、好き勝手言ってたときのことを思い出した。
・パフォーマンスしたあの学生たちはんな難しいこと考えてやってないよなきっと。なんかしらの感情はあったにしろ。
・テレビやネットの人たち、彼らはあのパフォーマンスがアートなんてひとことも表明してないのになんでアートとして行っていることが前提になってるの。

・「滑ってるからアートとして成立していない」「センスがないのが問題」って否定の仕方なんなの。滑ってるか否か、センスがあるか否かって主観の問題でしかなくね。
・法的にうんぬんみたいな話も見かけるが、学園祭で学生がやったことに対してもそういう話になる時代。この問題はアルバイトがアイスケースに入ったり厨房のシンクに入った写真をTwitterにあげることと同じ話なのか、違う話なのか。花巻南高校の野球部員監禁と、じゃあなにが違うのってところもあるし。
・chimpom、カオスラウンジ、ろくでなしこ等、日本おいてアートが話題になるのはこういった「不謹慎」なことがあったときだけ。それほど日本社会が保守化(政治的な意味ではありません)しているということであって、むしろこういった「不謹慎」で物議をかもすような表現が出てくるのは当然だと思った。結局こういうのが話題になるのも、今の日本がどれだけ相互監視的に抑圧されているかということと裏返しなのかもしれない。

・エンブレムからのお葬式、この1年で多摩美生のメンタルはボロボロ。あんなに憧れだった多摩美、そしてグラフィックデザインが好き勝手言われたい放題。闇落ち不可避。
・多摩美としてはサノケンのことやお葬式のことをどう思っているのか。
・美大生はデザインやアートに理解を示さない日本社会をクソだと思いつつ、お手本となるべきデザイン業界の人々もまた信用するにたり得ないことを理解している。こういう問題が起きたとき大学もデザイナーも知らんぷりし、だれもデザインを守ってくれない。デザインを学ぶ美大生はなにを目指せばいいのか。


とりあえず。加筆や修正すると思います。