その他

葬式

前回いろいろ書いたんだけど、直接話したほうが早ぇ!と思って、葬式の実行犯の人物と話してきました。

いろいろ話してくれたうえに1万円くらい奢ってくれ(干支ひとまわり以上ぼくより下です)、しかも0時を過ぎて解禁されたばかりのボジョレーをボトルで頼んでくれた直後、ぼくは終電でさっさと帰ってしまうという大変失礼なことをしでかしてしまいました。うける。

で、多摩美術大学芸術祭で行われた佐野研二郎氏の葬式についてわたしの口から言えることはなにもないです。
ほんとうはこのブログのネタになるかとも思ったんだけど…まあ。

ということでこの件に関しては、ひとまずぼくのなかで結着しました。

フィネラル

多摩美術大学の学園祭において行われた佐野研二郎のパフォーマンスについて思ったことまとめ

・パフォーマンスを行っていた学生は予備校で教えたことがある。
・彼はオリンピックエンブレム問題以降、一貫してサノケンをネタにし続けていた。たとえば昨年の芸祭ではサノケンの手作りの人形を売りさばいたし。
・彼の性格を考えればこういう社会を敵に回すようなパフォーマンスをすることは不思議なことではないなと思った。
・真面目に予備校に来て制作をするタイプというよりは、自分たちが浪人してたころによくいたちゃらんぽらんなタイプ。作品が面白いというより人が面白い。
・話題になる前にTwitterで葬式の様子をみたが、個人的にこれは炎上するかもなーと思った。そしたら数時間後にはすっかり燃えあがっててウケた。

・学園祭という場で行われたことを拡散され好き勝手袋叩きにされるのはちょっとかわいそう。
・でも、すでにそういうリスクを考えなければいけない時代ではあるから、行ったことに対する責任はある。

・常見陽平とか、識者と呼ばれる第三者がいきなり問題にダイブしてくることによって面倒なことになってる。
・いまから20年前、神戸児童連続殺傷事件のとき、テレビのコメンテーターが犯人や15才くらいの年代の子たちに寄り添うことなく、好き勝手言ってたときのことを思い出した。
・パフォーマンスしたあの学生たちはんな難しいこと考えてやってないよなきっと。なんかしらの感情はあったにしろ。
・テレビやネットの人たち、彼らはあのパフォーマンスがアートなんてひとことも表明してないのになんでアートとして行っていることが前提になってるの。

・「滑ってるからアートとして成立していない」「センスがないのが問題」って否定の仕方なんなの。滑ってるか否か、センスがあるか否かって主観の問題でしかなくね。
・法的にうんぬんみたいな話も見かけるが、学園祭で学生がやったことに対してもそういう話になる時代。この問題はアルバイトがアイスケースに入ったり厨房のシンクに入った写真をTwitterにあげることと同じ話なのか、違う話なのか。花巻南高校の野球部員監禁と、じゃあなにが違うのってところもあるし。
・chimpom、カオスラウンジ、ろくでなしこ等、日本おいてアートが話題になるのはこういった「不謹慎」なことがあったときだけ。それほど日本社会が保守化(政治的な意味ではありません)しているということであって、むしろこういった「不謹慎」で物議をかもすような表現が出てくるのは当然だと思った。結局こういうのが話題になるのも、今の日本がどれだけ相互監視的に抑圧されているかということと裏返しなのかもしれない。

・エンブレムからのお葬式、この1年で多摩美生のメンタルはボロボロ。あんなに憧れだった多摩美、そしてグラフィックデザインが好き勝手言われたい放題。闇落ち不可避。
・多摩美としてはサノケンのことやお葬式のことをどう思っているのか。
・美大生はデザインやアートに理解を示さない日本社会をクソだと思いつつ、お手本となるべきデザイン業界の人々もまた信用するにたり得ないことを理解している。こういう問題が起きたとき大学もデザイナーも知らんぷりし、だれもデザインを守ってくれない。デザインを学ぶ美大生はなにを目指せばいいのか。


とりあえず。加筆や修正すると思います。

無題

最後の更新からだいぶ経ってます。
この数ヶ月でメキシコシティいったりロスいったりサンクトペテルブルグいったりバルト三国まわったりして、いまは離島で暮らしてます。でもあいちトリエンナーレも行ったしトーマスルフもみたし君の名は。だってみましたよ。更新を止めたわけじゃありません。どっかのタイミングでまた書くんじゃないかな。ツイッターのほうはそろそろきちんと消そうかな。

2010年あたりで盛り上がった日本国内のアートの流れは、その後の日本のアートの価値観を大きく変えるかと思いきや、いつしか細く枝分かれし、お互い衝突しない距離を保つようになった。日本のアートの世界はさらに細分化が進み、よりマニアックな世界になってしまった。どんなものをみてもそれなりに楽しいが、内輪の盛り上がりといえばそれまで。アカデミズムに対する憧憬がアートをつまらなくする。

無題

先日、多摩美術大学グラフィックデザイン学科の元教授である佐藤晃一氏の訃報を聞いた。多摩美を退職されたのはつい1,2年ほど前のことだったはずで、あまりに突然の訃報に驚いてしまった。





グラフィックデザイン学科を象徴する先生だったと思う。

自分が学生だったころからグラフィックデザイン学科に在籍する学生はことあるごとに「佐藤先生が〜」という言葉を口にするので、他科の学生は、たとえ彼のことを知らなかったとしても、自然と名前を覚えてしまうくらいだった。

自分はグラフィックデザイン学科ではなかったので、学生としては大学院時代にグラフィックデザイン概論という授業で何度か講義を聞いたくらいしか接点がない。それでも独特の口調で発せられる率直で切れ味のある言葉と、グラフィックデザインに対するぶれない考え方、そしてたまに見せる茶目っ気は魅力的で、グラフィックデザイン学科の学生たちが、デザイナーとして、そして教育者としても彼を尊敬するのはじゅうぶんに頷ける話だった。





私は彼に対して学生というよりも、予備校講師として接したほうが多く、そして記憶に残っている。

佐藤氏が多摩美の教授になってからの20年間でゆるやかにグラフィックデザイン学科の色彩構成の傾向は変わっていった。

端的に言えばそれまでのイラストレーションのような色数と手数の世界から、色彩と構成をシンプルにまとめたものへと変化していったのだ。手数勝負ではなくなったぶん、求められるアイデアと作業精度のクオリティも高くなっていった。2003年からは文字に対する感覚を見極めるため、見本の書体を与え、レタリングを課すようにもなった。それは一般的な高校生が考えうるグラフィックデザインの価値観のレベルを超えている、高度で挑戦的な入試問題だった。

グラフィックデザイン学科出身ではない私が、グラフィックデザイン学科への進学を希望する学生へ向けて受験対策を考えるとき、彼の言葉をほとんど唯一の手掛かりとしてグラフィックデザインというものにアプローチしていったと言っても過言ではない。毎年彼が中心となって多摩美のグラフィックデザイン学科の色彩構成の入試問題を考えていることを考慮すれば、それは必然的なことだった。

多摩美で行われる入試説明会ともなれば、彼の登壇する入試説明会に足を運び、作品の評価につながりそうな言葉を逐一メモして何度も読み返したものだし、個別相談会では予備校で指導している学生とともに彼が座っている列に並び、一緒に講評を受けたこともあった。グラフィックデザイン学科出身の講師からは「毎年同じことを言っている」という意見を聞くこともあったが、目の前の作品が、彼の目にはどう映っているかを聞くことはやはり刺激的で勉強になった。

ときに自分の価値観とはまったく合わない評価をすることも含めて、佐藤晃一先生からは平面デザインの見方、そして創作者としての哲学を勉強させてもらったと思う。多摩美のグラフィックデザイン学科出身でもなく、直接作品の指導を受けたこともない自分がこういう文章を書くのは非常に恐れ多いことなのだが、予備校講師時代、10年以上にわたって毎年のように受験に関してのお話を伺わせてもらっており、その記憶を書き記しておきたいと思った次第、お許し願いたい。佐藤晃一先生のご冥福を祈る。







【講評】オリンピックエンブレム

紆余曲折あった2020年東京オリンピックのエンブレムですが、8日に最終候補である4作品が出揃いました。

インターネットの人々は今更といわんばかりに、数ヶ月前のエンブレム狂想曲が嘘かのように落ち着いた反応を見せています。ただ、先日急逝してしまったザハ・ハディドの国立競技場問題も含めて未だ火は燻っており、2020年を迎える前に今後もまたどこかでこのような問題が噴出し、炎上しても驚くことではないでしょう。

しかし、それにしても、いまだかつて日本国民がデザインについてこれほどまでに議論したことはあったのでしょうか。

デザインを勉強している若い人にとっては、今回の騒動で明らかになった専門外の人々とのデザインに対する意識の差、そして一部の根拠のない誹謗中傷ともいえる言動に心を痛めたこともあったかと思いますし、日本という国そのものに絶望してしまった方もいるかと思います。

ネガティブに考えればきりがないけれども、しかしこれまでブラックボックス状態で不透明だった日本のデザイン業界にわずかながら穴が開いたことは事実であり、ポジティヴに考えるとするならば、もしかしたらここが日本のデザインの再スタートになるかもしれません。

と、前置きが長くなってしまいましたが、今回のブログ記事は別にそんな内容に触れるわけではありません。今回は祝・最終候補発表ということで、〈もしも美術予備校で「TOKYO2020 オリンピックエンブレムを考えなさい」という課題が出題されたら〉というテーマで、この最終候補である4作品が、美術予備校の講師からどのように講評されるかシミュレートしてみたいと思います。美術予備校の経験者はいま、この候補作品4枚があのおぞましき講評台に乗せられて、偉いのかなんなのかよくわからないけれど偉そうにはしている予備校講師が目の前に立っている状況を想像してください。

ここでいう予備校講師とは私の経験から作り上げられた架空上の予備校講師ですので、以下に述べられていることは私自身の意見を100%反映したものではありません。また、これを読んでいるあなたがたの知っている予備校講師とは違ったことを言っている可能性は大いにあるので、受験生は鵜呑みにしないでください

そして私はもう予備校講師でもなければ、デザイナーの経験もない素人ですので、これは単なる余興です。マジレスとかやめてください。炎上したくないんです。



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A. 組市松紋(くみいちまつもん)
歴史的に世界中で愛され、日本では江戸時代に「市松模様(いちまつもよう)」として広まったチェッカーデザインを、日本の伝統色である藍色で、粋な日本らしさを描いた。
形の異なる3種類の四角形を組み合わせ、国や文化・思想などの違いを示す。違いはあってもそれらを超えてつながり合うデザインに、「多様性と調和」のメッセージを込め、オリンピック・パラリンピックが多様性を認め合い、つながる世界を目指す場であることを表した。


*講師コメント
今回の4つの中ではいちばん抽象的に見えるかな。コンセプトには市松模様って書いてあるけど、でもこれオリンピックのほうは鞠(まり)で、パラリンピックほうは扇…いや梅のつぼみかな?とか、なにか具象的なモチーフでも意識してんの(笑)?

まあ、それはちょっとわからないからおいといて、日本=赤、っていうティピカルな落とし込み方をせずに、あえて藍色に絞ったところなんかは、他と差別化できてて目立つ作品になってると思うよ。直線のみで構成してて、コントラストも強いし、目立つは目立つよね。法被(はっぴ)とか手ぬぐいに印刷したらおみやげとかで外人に売れそう。僕は買わないけど(笑)。

でもちょっと色面分割が細かい気がするかな。縮小したら潰れちゃわない?色面の大きさが単調だよね。それぞれの色面をもっと大きくしたり、変化をつけたりするといいと思うよ。まあ、僕、毎回講評で言ってるはずだけどね、それ。

コンセプトにある、形の違いで国や文化の違い云々ってくだりは理解できるけど、後付けっぽくも聞こえるかな。でも、見た目はユニークで面白いよ(笑)。万人受けはしないかもだけど、4つの中で唯一直線的かつ抽象度合いが強いぶん、他の3つが感覚的に合わない人はこれを選ぶしかないだろうね。なかなか攻めてていいと思うから、まぁこの調子で頑張って。



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B. つなぐ輪、広がる和(つなぐわ、ひろがるわ)
選手の躍動と観客の喜びがつながってひとつの”輪”となり、世界に広がってゆく平和や調和の”和”を表現した。
肉体と精神のたくましさ、躍動感・スピード感を込めたデザインにより、「自己ベスト」を目指すアスリートの素晴らしい活躍が世界に与える感動を表す。 さらには、2020年に日本がお迎えする世界の人々への敬意とおもてなしの心を伝える。


*講師コメント
まずさ、コンセプト前半で”躍動感・スピード感を込めたデザイン”って宣言しておいて、最後に”世界の人々への敬意とおもてなしの心を伝える”って、いろいろ伝えたいのはわかるけど、ちょっと欲張りすぎじゃない(笑)?

“日本がお迎えする世界の人々への敬意とおもてなしの心を伝える”って、このデザインのどこらへんに現れてて、どうやって伝えてるんだろう(笑)。ちょっと僕にはわからないかな(笑)。

まあ、それは冗談として。正直、4つの中じゃ見た目もコンセプトもいちばん「それっぽく」出来てるんだよね、これ。パッと見も、適度に具象的で、適度に抽象的で。色もいかにもオリンピックって感じだし、役人受けしそうな気はするね。強烈に人を惹きつけるような尖った個性やインパクト、日本の未来を感じさせる革新性みたいなものはないんだけど、よくまとまってると思うよ。それはつまり無難ってことでもあるんだけど、試験だったらそれなりの評価は与えられる作品だろうね。

それっぽくできてるから、10秒で決めろって言ったらコレを選ぶ人は多いかもね。ただやっぱり時間をかけてみるとつまらないデザインにも思えてくるかな。エンブレムとしてではなく、本当に好きな作品に1票入れろって言われたら、自分はこれには入れないかなあ。

だってよく見るとオリンピックのほうの人のカタチとかちょっとダサ…そのまますぎない(笑)?吸い込まれてるの?吹き飛ばされてるの?みたいな(笑)。かと思えばパラリンピックは風のような、ゴールテープのような形じゃん。ふたつ並べたときの共通性が弱いんじゃないかなー。ま、全体的な完成度は高いからこの調子で頑張って。




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C. 超える人(こえるひと)
俵屋宗達(たわらやそうたつ)の風神雷神図(ふうじんらいじんず)や浅草雷門(風神雷神門)など、古くから日本人に愛されてきた風神・雷神をモチーフに、ゴールテープを切る一瞬の躍動感や、「自己ベスト」を目指し、超えようとする選手たちの姿勢を描いたデザイン。雷神の太鼓を花火に、風神の風袋を虹にたとえ、平和、多様性、調和への思いを込めた。
アスリートの強靭な心身による平和への継続的な貢献をエンブレムに託し、未来へつなげる。


*講師コメント
これね、パッと見はなんなのかよくわからなかった。だからスルーしたんだよね、初見は。色も地味で目立たなかったし。でも改めてコンセプト読んだら、そっか、って。コンセプトの文章も合わせるとデザインの整合性はとれてて、やりたいことはきちんと伝わってくるんだよね。

カタチや色選びなんかは知ってるなって思わされる。風神雷神図をよくここまで抽象化したな、とかさ。あと、色でいえばグラデーションを使わずに、ベタの色面だけで見せようとしてるところなんかも少なからず経験者だなって気がするんだよね。まあ、この結構大きな面積で使われてる黄土色?金色?は好みがわかれそうだけどね。

それにしても宗達…琳派から田中一光にまで通づる、美術やデザインを好きな人が好きそうなネタをま〜たよく持ってきたよね〜(笑)。いや、そういうのすごくいいと思うよ、よく勉強してる感じがして(笑)。

でも風神雷神かぁ。風神雷神図を実際見たことある日本人ってどのくらいいるんだろ?日本人にとって風神雷神図って風邪薬の改源でしょ。

それに外国人はどう思うんだろうね。たとえばシンガポール五輪が行われるとして「マーライオンの強そうなところと勢い良く水を吹き出すところをモチーフにしました!」っていわれても僕らにはピンとこないし「別にマーライオンじゃなくても良くね?」って思わない?つまり自国の有名な文化財をその国の人がモチーフにすると、なんだか媚びてていやらしいというかさ。それだったら未来を感じさせるようなもっと攻めたデザインを見せてくれたほうが、その国の姿勢を感じることができるのかなぁ、とかね。

だからコンセプトもわかるし造形的にも上手…なんだけどスポーツの祭典としての華やかさが伝わってこないし、モチーフも含めてちょっとマニア好みの感じもしてしまうかなぁ。やりたいことはすごく伝わってくるんだけどね。まあ、でもコンセプトを考えるのは得意そうだからこの調子で頑張って。




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D. 晴れやかな顔、花咲く(はれやかなかお、はなさく)
「自己ベスト」を尽くすアスリートと、彼らをたたえる人々の晴れやかな表情。その感情の動きを、空に向いて開花する朝顔(英語名:morning glory)に重ねた。朝顔の種が芽を出し、蔓を伸ばして花を開き、再び実を結ぶ成長の過程が、大会への期待感や次世代への継承を示している。
江戸時代に流行し、子どもから大人まで広く親しまれてきたこの花が、2020年への気持ちを高め、世界から訪れる観客を日本中でお迎えする。


*講師コメント
誰がどう見ても朝顔だよね(笑)。
世界的に朝顔がどこまでポピュラーな植物なのかはわからないけど、コンセプトにもあるように子供からお年寄りまで伝わるだろうね。4つのなかでいちばん具象的だし、カタチに意味深なところがない。

このDは、Aと同様にスポーツのイメージというよりかは日本的なイメージを使ったエンブレムなんだけど、市松模様に比べると、朝顔という具象的な花を使っているぶん親しみやすいかな。花というモチーフ自体、前向きで優しい印象を受けるしね。江戸(=東京)だったり、次世代の継承を感じさせる朝顔というモチーフ選びも上手いと思うよ。

水色や紫といった朝顔の色は結果的に他のエンブレムとの差別化に繋がってるし、中央にああいった亀倉雄策的な形を持ってくるところも上手だなって思った。

いちばん最後っていうこともあってなんとなく褒めちゃってるんだけど、まあ、でも、こういうのが選ばれてしまっていいのかっていうのがあるよね。優しいっていうか弱そうっていうか。癒し系?ほんわかしてる。

これ、NHK朝の連続テレビ小説的世界観の、古き良き日本を忘れられない今の日本人の感覚ってのを体現してるデザインなんじゃないかな〜。勝負できてない。みんなに好かれそうなものを作ろうとして、結果的に世界に置いていかれるっていう日本の家電メーカーのパターンになる可能性もあるね。今回の4つのエンブレムでバトルロワイアルをやらせたら、いちばん最初に教室のなかでビートたけしに殺られそう(笑)。だからもっと次世代感のある、力強いデザインでもいい気がするな。んまぁ、人柄は良さそうだから頑張ってね。




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皆さんは4つの中だったらどれがいちばんオリンピックエンブレムにふさわしいと考えますか?スポーツの世界では絶対的なタイムを競う競技だけでなく、例えば新体操やフィギュアスケートといった、本来絶対的な基準がない美を競う競技までもが細かい採点基準が設定され、最終的な勝者が決まります。

デザインはどうでしょうか。少なくとも現在はそういった基準はなく、最終的には個々人の感覚と判断により決定されます。その絶対的な正解と勝者が決められない世界なのに、最終的にひとつだけ決めなければならないところがデザインの難しさでもあるのでしょう。

この記事自体に特に恣意的なものはなく、美術予備校の講師の性格がいかに悪く、上から目線で、口だけは立派かということを理解していただければ幸いです。冗談です。一般的な美術予備校の講師のみなさんはもっと責任感を持ったうえで、きちんとした仕事をされています(遅すぎるフォロー)。

でもひと昔前の美術予備校は割とこんなんだったかも…。
では。