ドーハ

岐阜/イオ・ミン・ペイ

春ごろに滋賀のMIHOミュージアムに「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」を観に行った。美術館へのアクセスのし辛さに比べて作品自体は「えっマジで」って思うくらいシンプルでこじんまりとしてたんだけど、とにかく美術館がすごかった。ここ日本かよって思うくらいのお金の使い方と完成度。


まだ行ったことなければグーグルで写真を観て、興味があれば行ってみるといいと思います。
んで、この美術館を設計したのはルーブル美術館のガラスのピラミッドを設計したイオミンペイっていう有名な人なんだけど、自分はこの3年間でペイの建築を割と目にしていたことに最近気がつきました。



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MIHOミュージアムの本館はちょっとまんが日本昔話かよ!っていうギャグみたいな見た目で、格好良く撮影するのはなかなか難しい。どんか感じかは上記リンクで確認してください。ここはちょっと変わっていて、美術館の敷地に着いてからさらに電気自動車または徒歩で美術館のある場所まで移動する。そのとき長いトンネルを通るんだけど、それがまたなんというか神秘的な体験というか、さすが母体が宗教団体というだけあるな、と。



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2012年、村上隆の展示を観にドーハ行ったとき、その会場のすぐ隣にあったイスラム芸術美術館も彼の建築でした。内部はすげー暗かったような記憶がある。でもイスラム芸術美術館、確実に訪れたはずなんだけど、内部がどんな感じだったかまったく記憶に残ってない。



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で、ルクセンブルク・ジャン大公現代美術館、MUDAM。今思い返してもやっぱこの美術館最高だったと思う。美術館が好きなら絶対行くべき。作りはちょっとMIHOに似てる。でも、美術館自体のスケールはこちらのほうが上。特にこの古い城壁とガラスの建築の絡み合いが最高。



すでに何度もしている話なんだけど、学生時代は建築の面白さってまったく理解できなかった。でも何度か旅行しているうち、最近はむしろ建築が楽しみで旅行してる。美術作品と建築空間って絶対に切り離せない。どんないい作品でも建築空間が良くなかったら良く見えないし、逆に建築空間がよければ丸めた紙くずだって作品に見えてしまう、みたいな。


旅行していると、こういう共通項がいろいろ出てきて面白い。スイスで観た作家の個展をニューヨークで観た、とか。パリやドーハで観た展示を東京で観たらこうだった、とか。そういう感動って人に説明してもなかなか伝わらないし、説明する必要もないかもしれないし、本当に個人の知識欲を満たすだけのもの。いわゆる趣味ってやつです。そう、自分にとって美術は仕事ではなく趣味だったのかもしれないな、とか。まあその話は置いておくか。







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MIHOミュージアムの最寄駅に近江牛を食べさせてくれる肉屋があったから行ってみた。金箔で近江牛って書いてあった。12000円くらいする鉄板焼きのコースを頼んだものの、個人的には油っぽくてダメだった。牛肉もマグロも赤身が好き。


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んでその肉屋の近くの旅館にその日は宿泊。旅館に入るとおばちゃんがヌッと現れるような古い旅館。黒電話に共同の風呂トイレだったけど、リバーフロント(笑)で純和風の朝食つきで5000円くらいだった。牛肉よりたらこと漬物。京都にも電車ですぐ出れたし、お得感あったなー。



閑話休題でした。




ドーハ6

ドーハ滞在2日目、帰国の飛行機は深夜発だった。タクシーでアラブ現代美術館やショッピングモールを見て回った後も時間には余裕があったので、もういちど村上隆の展示を観ることにした。


ギラギラと照りつける太陽と威圧感のある監視員に泣かされた初日とは違い、その日はイスラム教の休日にあたる金曜日で、かつ日が暮れはじめて涼しくなってきた時間だったので、美術館の周囲には家族連れやカップルの姿を見ることができた。本当にこの国は夕方にならないと人々が外に出てこないのだなと思った。

美術館の外ではこんな感じでなんかやってた


初日の反省から2日目はタクシーを半日貸し切って観光をしていたので体力的に余裕があった。そうしたら、1日目よりもポジティブな印象で展示を受け止めることができた。じっくり作品を観ながら、やっぱドーハまで来て良かったのかも、って思うことができた。自分以外にも展示会場に観客が5人くらいは居て人の気配があったことも良かったのかもしれない。でも五百羅漢図の感想は初日と同じだった。ラメの効果がキレイだなーって思ったくらいで、どうしてもあの羅漢が好きになれなかった。でも、近くで村上隆の作品をじっくり観れたことはとても勉強になった。

まだ五百羅漢図は未完成らしいし、ガゴシアンギャラリーで展示していた性的な作品はここでは未展示だし、ドーハでみなくても数年後にはまたどっかの国で個展やるっしょ。だから、今回そんな慌てて訪れる必要はなかった気はする。とはいえ、個人的には良い体験でしたけどね。こういう機会がないと一生(そう、一生!)中東の国なんて訪れないと思うし、正味二日とはいえ色々経験した。結局、村上隆の展示より、結果的にそういった体験のほうが心に残る旅行だったし、それが正しい。美術作品が目的で海外に行き、結果的にその美術作品よりも現地の体験から多くのことを学んで帰ってくる。いいことじゃないか。


帰りの飛行機のチェックイン話とか、ラウンジで5時間くらい時間を潰したこととか、タクシー運転手との交渉とか、200円くらいの定食屋の話とか、いろいろ面白いことはあるんだけど、ここでは割愛します。日本では普段「先生」とか呼ばれてるけど、海外ではろくに言葉も通じない怪しいフォーリナー。恥はかき捨て。ほんと、精進が必要です。海外一人旅は寂しいときもあるけど、誰も自分を知らないという開放感があっていいものだと思う。


ドーハ記はこれで終わるけど、近いうちにカイカイキキギャラリーで「日本の悪夢は世界の未来」を観て、村上隆について個人的な考えをまとめたいと思います。というか、ここまでダラダラ書いてきたけど、ブログ的にはそれが本題ですよね……。すいませんね、中途半端なブログで。


ちなみに夏の終わりにはパリ行きます。あとロンドン。ポンピドゥーでリヒターみるため。この欧州行きの航空券を取った数日後にドーハ行きを決めたから、懐が……。



写真じゃ全然わからないけど、帰りの飛行機のなかから見えた月がひときわ輝いてるなと思ったら、ちょうどその日はスーパームーン( 満月が通常よりも大きくて明るく見える現象)の日だった。ラッキー!

ドーハ5

ご無沙汰です。生きてます。


そんなわけで、目玉の作品である100mにも及ぶ五百羅漢図に、個人的にはそこまで心を揺り動かされるものはなかった。

でも、ひとつひとつの作業のクオリティが高かったです。印刷物だとあまりよくわからないんだけど、近くで観ると、手作業っぽい歪みとかが微妙にある。

間近で観ると、そういう手作業の積み重ねで仕上げられていることが垣間みることができて恐ろしく感じた。この繊細な線を一本一本コントロールしてるのか、って。宗教美術のような完成度ですね。日本ではあまり村上隆の作品をみる機会がないので、間近で体感できたのは行って良かったなって思ったことです。

村上隆の絵ってものすごく予備校っぽい。
構図は本人が『芸術闘争論』で語っているように視線誘導ということをきわめて計画的に意図している。予備校で学んだことがある人ならわかるんじゃないですかね。

あと個人的に感じたのは、色面の同士の明度差で空間を作ってる、ということ。色で空間を作ってる。基本的にはセル画を重ねたようなレイヤー的な構造をしているんだけど、そこに抽象表現や幾何学模様やグラデーション表現、ラメの効果が加えられることによってレイヤー同士の境目を目立たなくして、とても複雑な空間をつくっている。


絵を目の前にした時、技巧的な部分に関しては素直に驚ける。技術に関してムチャクチャ貪欲。自分は基本的に村上隆のことは絵画マニアで技巧マニアで現代美術マニアなんだと思ってて、だからでこそ、自分は村上隆の作品にテーマ性…精神世界…を求めることなんてできない。これらの作品は素直にスーパーテクニカルな部分とコンテクストに感動すれば良い絵だろう…って思ってしまう。


続く。





カタール(ドーハ)自体にほとんど歴史や文化なんかなくて、カタール国の建国からまだ40年しか経ってないんだって。

カタールは天然ガスと原油によって得ている莫大なお金、いわゆるオイルマネーで、近年とてつもないスピードで都市開発やら文化やらを育ている。芸術では村上隆と同時期にルイーズブルジョアとか蔡國強という世界的に有名な作家の個展が開かれている。カタールはサッカーでも有名で、いろんなところから選手を集めていて話題になっているらしい。

ショッピングモールに行けばアジアの電化製品からアメリカのジャンクフード、ヨーロッパのハイブランドまでなんでも揃っている。すべてが成金の寄せ集めのような国で、いちおう天然資源の枯渇を前提にした文化への資本注入だとしても、やがては維持できずに崩落するだろうという予感がする。


今回訪れた村上隆の展示にしても蔡國強の展示にしても、なんとなく上滑りをしている印象だった。それは展示の作家や作品に関係なく、大学に入学してから色気づいた青年のような、「ちょっと頑張りすぎ」な印象。現代美術がカタールに馴染むまでもう少し時間はかかるのかなぁ。


ここまできたら10人くらいの有名美術作家を集めた、地中美術館のような恒久展示施設があってもいい気がする。または一人の作家につき一つの建物を建て、それを墓のように並べた施設とか。うまくリゾート化できれば人がたくさん来そうだけど、いまのまま現代美術に湯水のようにお金をつっこむ方法でカタールに現代美術は根付くのだろうか。




イタリア風のショッピングモール。いわばハイブランドも売っているジャスコのような場所。

ドーハ4

このブログではとにかく「感想」を書きたいと思っている。批評ではなく、自分が見たこと思ったこと感じたことを自分の言葉で記したい。自分の「感想」をみんなに知ってもらいたいというよりも「私はこう思った、あなたはどう思いますか?」という投げかけなのかもしれない。

無知がゆえに歪んだ見方をしてしまうこともあるし、表面的な理解で満足してしまうこともある。でも、いまの自分がいまの知識で何かを見たとき「思っちゃったことはしょうがない」ので、それを書いていきたい。正しいか正しくないかは別として、考えたことが残るのは悪くないことだ。と、以前の記事を読み直してみてそう思う。当時の自分がこんなことを書いていたことなんて全く覚えていないので読み返すと不思議な気分になる。



僕は美術のプレイヤーではなく観客だ。
自分の講師という職業を鑑みても、それはメジャーリーグやプロ野球によく足を運ぶ、高校野球の部活顧問みたいなものだろう。おそらくいまの自分がはっきりと語れることというのはデザインの役割や絵画のマチエールのことではなく、美術大学受験のことだけなのだ。


なぜ現代美術を観るためにお金と時間を使って海外に行くのか?
「わたしはドーハまで村上隆の個展を観に行きましてね…ええ、そのためだけに。日本での観る展覧会とは比べものにならないくらい素晴らしくって……」というようなスノッブな会話をしたいからなのだろうか?ドーハ行きのチケットを取る前や、往復の飛行機の中でそんなことをけっこう自問自答した。
しかし結局、理由はわからない。観ることが難しい展覧会を訪れることで周囲より有利に立ちたいのだろうか。村上隆の展示でいえば、ベルサイユ宮殿でみた人もたくさんいるだろうし、ドーハでみた人もたくさんいる。でも、両方みたという普通の人はそんなにいないだろう、という意味でレアかなと思った部分もある。しかし、色々な事情を含めて「見たい、そして自分の言葉で語りたい」ということがいちばんの理由、いや欲求なのだ。



なんだよ!今回全然ドーハのことでも村上隆の展示のことでもないじゃん!
展示のことについて書こうと思ってyoutubeとか美術手帖とか見ちゃうと、なかなかまとまんないんだよね。ごめん。あと、ぼく村上隆のこと尊敬するけど特に作品が好きとか、そういうのあんまないです!

















調べれば調べるほど自分の浅さが露呈して嫌になる。
っうぇっうぇっwwwwwwwwwww




左端に写ってる物体、リチャードセラの彫刻って帰ってきてから思い出した。

ドーハ3

というわけで、やっと今回の旅行のメインイベントである村上隆の展示のことについて書きます。


ひときわ目立つ建物。
建物の入り口は真逆側にあります。その入り口に辿り着くためには、この写真を撮影した場所から柵をぐるっと数百mもの距離を回り込んで移動しなければなりません。なんでそんな面倒臭い作りにしたのか、本当にアホだと思います。


近寄ると壁紙が剥がれていたりして。関係者用ゲートから侵入したときに撮影しました。


この光景、芸術新潮とか美術手帖とかインターネットで腐るほど見たわ!



とはいえ巨大な村上隆人形は、じっさいに間近で見ると迫力があります。頭部はFRPだそうです。胴体部分は肌色のバルーンに淡い青や紫色が吹き付けて肌の質感をだしていました。体毛は一本一本描かれている。接写しようかとしたけど、何故か「ま、いっか」と思って撮りませんでした。せっかく一眼レフ持ってドーハまで足を運んだのに…。




iPhone持ってしゃがんで撮った。
現地の人とか観光客とか、みんな誰かと来てこの人形の前で記念写真撮ってたけど、ぼくはひとりで訪れたのでだれも写ってません。






(もし再生されなかったらここから直接再生してください)
この動画は展示内容のみならず、日本に対するカタールの支援、東浩紀のコメントのことにも触れていますのでなかなかいいまとめなんじゃないかと思います。最後の「村上さんのさらなるご活躍、期待したいですね」「そうですね」っていうナレーターのやりとり適当すぎて笑える。




僕は現地に2日間滞在して、両日観に行った。


初日は会場に入る前にたくさん歩いたり、不審者と間違えられたり、荷物が重かったり、空腹だったり、だいぶ太陽光に当たっていて、疲れていた。だから正直あんま楽しめなかった。「そっかー、村上隆だな」っていう程度の感想。確認作業。そこに村上隆の作品がある。それだけ。雑誌でさんざん目にしたものを、この目で確かめてみるというだけの作業。


さらに平日の日中だったせいか観客はあまりいなくて(自分の他にはせいぜい5人程度)、黒人の警備員たちは談笑していたり、ケータイをいじっていたり、ぎゃくにジロジロみてきたりしてとても落ち着かなかった。だからちょっと後悔してた。「おれはこんな思いをするために大金を払ってドーハまできたのか!!」って。なんだか惨めな気分になって軽く泣きそうだった。


話題の大作の100mにも及ぶ五百羅漢図は特にピンとこなかった。このような作品が目の前にあることは、とても驚いたしとても凄い。でも、個人的にはキャラクター化された顔がやっぱ嫌い!好きになれない!!本物を見る前に椹木野衣とか東浩紀のコメントにwktkしすぎたっていうのもあるのかもしれないけど、なんか拍子抜けした部分はある。

多重層的で複雑なマチエールに目を向けようとすればキャラクター化された羅漢の表情が邪魔だったし、ひとりずつの羅漢に目を向けようとすればこんどはマチエールが邪魔になる。そういった意味で全体と細部で常に視線の定まることのない、ドでかくて超ハイクオリティな、ポロックのようなオールオーバーな抽象絵画であるんだけど、自分の中ではそれ以上のことまでは感じ取ることができなかった。つまり、そこに「東日本大震災以後における芸術の〜」ということまでは重ねあわせることができなかった。


それが1日目の率直な感想です。
ひねくれててごめんなさい。
でも、みんながこのブログに期待してるのって、そういうところでしょ!
感想は次回に続きます。

ぼくはカタール在住の日本人主婦のこういう感想とかこういう感想が大好きです。この記事ではハウルの動く城のすごさを興奮気味に伝えてるところとか感動する。一般的な目からみたときのひとつの確かな現実ですよね。


リンク先のブログ見てるとなぜかまたカタールにもの凄く行きたくなってくる。
帰りのカタール航空の飛行機で隣の座席になった人と、隣の隣の座席になった人の会話を盗み聞きしてるのを聞いたら、隣の隣の座席になった人はカタールに旅行するの4回目なんだって。なんか落ち着く国らしい。たしかに何も観光するところがないが故に、何か観光しなければとか思わなくてすむので、バカンスとして過ごすにはのんびりできて良さそうな気はする。