日常

岐阜市立図書館 みんなの森 ぎふメディアコスモス

で、ラコリーナの次は岐阜駅で下車して伊東豊雄設計の岐阜市立図書館へ。
ここも岐阜駅からバス。歩けなくはないかなー?っていう距離だった気もするけれど、時間短縮のため。

図書館に入館してまず驚いたのはファミマがあったことですね。
ファミマの近くの席では、カップラーメンを食べてる人もいるし、飲み物やおかしを食べながら勉強してる学生もいるし、談笑してる人もいる。1階のスペースはそういう風に使ってもいいみたい(図書館は2階にある)。だからといって騒々しさはなく、適度にガヤガヤしてるくらいかな。さらに近々スタバも入るそう。いいなー。家の近くにこういう図書館あったらそりゃいくわって感じ。



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多摩美の図書館にくらべると見た目はわりと四角くてカチッとしてる印象。図書館前の広場では小さい子供たちが遊んでました。どことなくYCAMっぽさがある。


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2階の図書館部分。頭上のグローブ(天蓋)は空調設備機能も兼ねる。ってcasa BRUTUSに書いてありました。


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この、窓際の机にズラーッと人が並んだ光景、多摩美の図書館を思い出す…。


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サインは原研哉によるデザインだそうですよ。


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ギャラリーだから「ギャ」。かわいい。


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館内に設置されている時計もよくみるとかわいい。このために作った時計なのかな?


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1階にあったこのボール状の椅子も多摩美を思い出さずにはいられない…。


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ウェブサイトのここに書いてあるように、

私たちは館内で小さなお子さまが少しざわざわしていたとしても、微笑ましく親御さんたちといっしょに見守ります。来館されたみなさまも、どうぞそのような考え方をもった図書館だとご理解いただければ有り難いです。

いい意味でにぎやかで、若い人、子供、お年寄りなど、様々な年代の人たちが活用していました。地域住民の交流の場として図書館。最近はツタヤ図書館の問題も出てきてしまっているけれど、個人的にはこういう図書館がもっと増えていってほしいなーと思いました。


と、こんな感じで高松から寄り道をしつつ帰宅。
所要時間は17時間くらいかなー。ベネチア行くのと同じくらい時間かかった(笑)。腰と背中がキツかった…。
でもある意味、効率重視の新幹線や飛行機じゃこういうことはできないし、これで2000円ちょっとなんだからありがたい。

ラ コリーナ近江八幡

このブログ、時系列めちゃくちゃです。

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高松メディアアート祭の帰りも18切符を使いました。
18切符はその価格も魅力ですけれど、乗り降り自由で寄り道できることもメリットですよね。ということで高松から帰る途中、滋賀と岐阜に寄り道してきました。

とはいいつつも、ただでさえ高松から自宅まで13時間かかるのに、寄り道したらいったい家まで何時間かかるんだって話で、何度も自分に「マジで?マジ行く?次の機会でも良くない?!」って何度も問いかけましたね。結局、行きましたけどね。朝4時前にゲストハウスをチェックアウトして。経験上、こういうのがのちのち「無理してでも行って(行けば)良かった」という記憶として残るのは明らかなので。

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まずは近江八幡で下車して「ラコリーナ近江八幡」
近江八幡駅で降りてバスで10分ちょい程度でした。ちょうどバスが少ない時間で20~30分待ったかな。

和菓子やバームクーヘンで有名なたねやグループのフラッグシップ店として建てられたお店。設計は藤森照信。この旅行の直前に買ったcasa BRUTUSの表紙になっていて、まんまと煽られてすぐさま訪れた次第です。写真の比率がまちまちで見づらくてすいま千円。


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HPだと綺麗なグリーンの屋根ですが、冬だからか屋根は枯れた色でした。


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漫画日本昔話みたいな。


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横に長ーい建物。


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屋根には草が植わっています


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二階建ての店内。1階では主にお持ち帰り用の商品が買える。2階がカフェになっていて作りたてのバームクーヘンが食べられる。


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壁にある黒い点々は炭。最初ちょっとグロいなーと思ったけど見慣れたら蟻(ここのシンボルだそうです)のようにも見えるし、だんだん可愛く見えてくる。


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和菓子の木型(たぶん)も展示されてたりします。


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名物のバームクーヘンはスポンジケーキにように軽くてふわふわ。とても香ばしい。コーヒーも美味しかった。


折角の機会なのでテイクアウト不可のいちごクリームどら焼きも食べましたよ、もちろん一人で…。こっちもすげー美味しかったです。別棟がまだ工事中なので全貌が明らかになったときにまた訪れたいですねー。できれば暖かい時期に、なんだかozの「建築を巡る女子ひとり旅」風の記事になってしまいました。

つづく。

新年の話

大島美術学院のTwitterは昨年をもちまして退会しました。退会後1ヶ月はアカウント残るらしいので、再ログインしたら復活するそうですが、たぶんこのまま消すと思います。Twitterでしか繋がりのない人もいたからそれはすごい残念だけど、結論からいえば、自分が「社会的にきちんとすれば」もう一度繋がることはじゅうぶん可能だろうという判断です。

ちかごろ無職ネタを繰り返しすぎたり、もう予備校で働いてないのに受験ネタを振り撒きすぎて、自分にとっても他者にとってもあんま良くないだろうと。自分もいい年だし、アーティストになるってわけじゃないけど、しっかりしなきゃなーっていう。無職がTwitterで自己承認欲求満たすのは良くないよね?!2016年は成長しなきゃ(34才無職独身)!っていう。



毎月のサーバー代の引き落としと、毎年ドメイン更新料をみるたび「大島美術学院」をどうするか迷ってる。ちかごろは、むしろ大島美術学院という屋号(?)に自分が苦しめられてる気もしてるかな。


ナベタンが4年以上前に言ってたようにたぶん周りが期待してたようなことは全くやってこなかった。たぶん本当に本気なら独立して予備校を作ったり、私塾を作ったり、予備校を逆手に取ったような作品展開とかもできたんだろうけど、うーん、結局、自分にはできなかった。作品化するくらいだったら予備校や高校という場所で仕事として実際的な指導をしていたほうがよほど自分にあってると思ったし、学費として安くないお金をいただきつつ、保護者とやりとりしながら学生を見ていく仕事は責任感も緊張感もあって楽しかったしね。

自分にはやっぱりね、作品を作る、ということに対して恐怖心や無益感みたいなものがある。
それは消えないなー。たんに面倒なのかもしれないけれど、制作にはお金も時間もかかるし、根本には「失敗したらどうしよう」というトラウマみたいなのがあって。その「失敗したらどうしよう」という考え方が失敗を生み出していることも理解しつつ。


学生時代はそういうのと戦いながら制作してた。他の人みたいに手もすぐには動かないし、とにかく、なんで自分が作品を作る意味があるんだろう、作って何かが変わるのか、とか…。


他人の作品に対してネガティブなこともすぐ言っちゃうんだけど、アーティストやデザイナーは尊敬しています。尊敬するとともに、アーティストだって社会に生きる人々の一部なんだからあんまり偉そうにしないで!みたいな気持ちもあっていろいろ言っちゃうんだけど。たとえばブラックといわれるような居酒屋やファストフード店で生活のために一生懸命働いてる店員と、アーティストとしてやっぱり一生懸命やってる人がいたとして、そこにあんまり差をつくりたくないと思うのね、自分のなかでは。どちらも自分の選択で社会のなかで生きているわけだから。だからアーティストがTwitterとかで俺たち偉い、すごい、みたいの見るとちょっとイラッとしちゃう、みたいな。努力はいいけど、それをあんまり表に出されると…。この世には生活のために無言で頑張ってる人が多いんだから。ていう。


新年らしくいろいろ話は錯綜しまして、漠然としているように聞こえるかもしれませんが、今年は成長できるように頑張ります。というかそうしないと収入的に死ぬ。今後の人生につながることの種を蒔きたいな。

あなたの人生はあなたのもの

あなたの人生はあなたのもの、そういう当たり前の言葉さえ人生の中では理解するのに時間がかかる。人生のなかで何か大切なものを掴みかけたと思ったら、すぐにまたどこかに消えてしまう。これまでに何度そんなことを繰り返してきたか。

留学から帰ってきて早くも10日が過ぎた。
ずっと生まれ育ってきた環境がつくりだす磁場というのは、強い。向こうの暮らしですっかり入れ替わったと思った心の空気も、日本に帰ってきたとたん、家族や知り合いや言葉…が以前の私に戻そうと働きかけてくる。いちにちごとにわたしの身体がどろどろと溶けていき、日本の社会にべったりと張り付いていく感覚。

とはいえ、留学先は年齢や仕事やお金を忘れて過ごせたまるで儚い夢のような場所だったので、むしろいつまでも留学気分でいたらマズイのも事実。そういう意味ではやく日本の社会=現実に戻らなければいけないのだが、もう少し時間がかかりそう。





前回の記事がほぼ留学前に書いたものだから、今回の記事が留学後はじめて書く文章になる。

留学前は「お金と時間を使って意味あんの?」的なことを書いていたけれど、結果から言えば仕事を辞めて後悔はしていない。良かったと思う。けっきょく、もしあそこで仕事を続けていたとしても、これまでと同じ時間がただ過ぎて行くだけだった。仕事を辞めなかった世界のわたし、あのまま仕事を続けている世界のわたしは、なにも吹っ切れることなくやはり悶々と考えて続けているだろうから。

英語はどうかと言われると、とりあえず旅行程度だったら困らないかな…くらい。オンライン英会話と自習続けないときっとすぐに忘れちゃいそう。4ヶ月マンツーマンでやればそこそこ喋れるようにはなるだろうと思ったけれど、ぜんぜん甘かったですね。かなり本気で勉強しないとほんのちょっとも喋れるようにはならない。それが分かった。

なにより自分にとっては英語を勉強したのと同じくらい、留学先で同年代の人や自分より年配の人と話せたことが大きい。
自分が行っていた学校は比較的値段が高いこともあって、大学生はあんまりいなかった。留学先で出会った同世代は30代で何週間も何ヶ月も留学しにくるような人達だから面白い人が多くて、けっこうみんなきちんとした仕事…お金に余裕がある人が多かった。大企業に勤めていたり、経営者だったり、あとはリモートワークつうのかな、IT関係で世界のどこにいても仕事できる人。そこには無数の働きかたと人生があった。普段は一生懸命働きながら、長期休みをとって自分のために留学したい、なんていう人はみんな向上心があってパワフル(ワガママ)で、そうやって生きてもいいんだなーと思った。

彼らに美術や芸術の世界とは無縁で美大出身であることを告げると「美大って面白い人たくさんいるんでしょ?」というお約束の質問を投げかけてきたものだけど、わたしからみれば彼らもじゅうぶんに面白い人だった。むしろ自分のほうこそ美術や芸術という枠にとらわれ、ずいぶん近視眼的な生き方をしてきたものだと感じた。自由を求めて芸術の道を歩んできたはずが、美術の大学や予備校といった狭い世界にいつのまにか縛られていた、そんなことを思った。





わたしの人生はわたしのものだからやりたいことをやる。そういう生き方はときに後ろ指を指されるかもしれないが、幸せになろうとしたらそれをやりきるしかないんじゃないだろうか。



なんか嫌な文章書いちゃったな。
ポエム書くの飽きたら1年くらいまえの展示の話でも書きます。

Do what you want

*この投稿は今年の6月に途中まで書いたものを10月に投稿したものです

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5月下旬。気がつけば父が死んでから1年が経っていた。

リビングに横たわるイケアの扉付きテレビ台の中にひっそりと収納されていた父の遺骨はしばらく前に油壺の海上に散骨された。
あれほどまでに様々な家事を後回しする母が、誰にも催促されることなく、ある週末の午後ハンマーで父の骨を粉砕し、その翌日、孫を連れた油壺へのレジャーのついでに散骨をしたというわけだ。

同時に、いつのまにかテレビ台に飾られていた生前の父の写真や、父が30年近く愛用していた置き時計もなくなっていた。
我が家からは父親の痕跡というものがいっさいなくなり、命日にはもはや私の家族は誰も父の話を口に出さなかった、まるで父が生きていた時のように。


そして私は仕事を辞めた。
昨年高校の非常勤を辞め、今年はついにメインの仕事であった予備校まで辞めてしまった。
予備校を辞めた理由は、端的に言えば会社から提示された金銭的待遇が自分の求める金銭的待遇とは違ったということだ。
予備校で1年間働いて得られるお金と、自分のための時間を天秤にかけたとき、いまは後者を選ぶべきだと思った。

そもそもここ数年は講師という職業の問題なのか、職場の問題なのか、私自身の問題なのか、行き詰まりを感じていた。
毎年予備校の契約更新が訪れるたび「いつまでこの仕事を続けるんだろう」という疑念が頭をよぎり、「また今年も契約してしまった」という気持ちとともに1年が始まっていたことを思えば、遅かれ早かれ一生続けられる職業ではなかったのかもしれない。


今後のことははっきりと決めていない。
数ヶ月間フィリピンへ語学留学するとはいえ、その期間で実用レベルになるわけがなくむしろ、そのような中途半端な技能を身につけるために己は仕事を辞め、貯金を崩して良かったのか?という後悔の念さえある。
《……そこそこの仕事でそこそこの暮らしを守れば良かったのではないか?同年代は皆家庭や仕事で身を固める時期だぞ。そんな年齢になったまでまだ己のなにかに期待しているのか?……》


「やりたいことをやれ」というのは死んだ父が生前私に向かって口にした、というか私が記憶している唯一の教訓めいた言葉であるが、やりたいことをやった父は家族と離れた団地で孤独のままに死を迎え、ベランダに敷かれた新聞紙の上で粉砕された。油壺に撒かれた彼の骨は、いまごろ魚の餌か、広大な海の微粒子としていまもどこかを彷徨い続けているだろう。


ーーー「やりたいことをやれ」
いまや物質的にも記憶的にも私と父とを結びつける唯一のこの言葉を私は心の中で幾度となく反芻しそして私は、