その他

新型の板

新しいiPadを買って、夜中までセットアップしてたらブログの更新ができなかった。
でもなんかしら更新しないとまた1ヶ月くらい更新しない気がするのでとりま更新だけでもしようと。

とくに美術ネタではないのだけど、今朝の新聞に「奨学金1万人滞納 金融・信販会社に登録」という記事があった。

奨学金を滞納している人はいわゆる「ブラックリスト」として扱われ、住宅ローンやクレジットローンが組めなくなったりする。そういう人が現在1万人いる、という記事。いまや大学生の半分以上が奨学金を受給してるんだって。

その関連記事に登場した男子学生は、約300万の奨学金を借り、今春に大学を卒業するものの、いくつかのバイトを掛け持ちして生活しながら就職活動をしたが、まだ就職が決まっていない。
その男子学生の言葉。

「何のために大学に行ったんだろうと思う。自己破産という言葉が頭をよぎる」

それはそれで重い言葉なのだけど、印象に残るのはその記事の右下に掲載されている四谷学院の広告。
「有名私立・国公立大学に合格しました嬉しいですありがとうございます」というようなコメントが、顔写真とともに40人分くらい掲載されていた。

その広告の大学入学者の喜びと、奨学金の返済に困っている卒業生の対比よ。

僕自身も多摩美に6年1200万ほどぶっ込んだうちの半分ほどは有利子の奨学金でまかなっており、他人事ではない。とうぜん今でも薄給から支払っております。

それに、自分自身いま高校生を大学に送りだすような職業をしているわけで、こういう記事をみると「みんな頑張って美大に行こう!」とも言えなくなってくる。私立美大は学費がバカ高いし、医学部のように決して収入的なリターンがあるわけではないから。そういうことも含めて、それでも美大に価値を見いだすなら目指しなさいと。全員が全員稼げるデザイナーやアーティストになれるわけではないので。
とはいえ実家が関東で、中小企業でもきちんと就職したのなら、300万円くらいは本気出せば2〜3年で返済も可能なので、あんまお金でビクビクするのも勿体ないかもしれない。

ライトな記事で更新するつもりだったのに、ダラダラ書いていたらまた考え始めてしまった。
とりあえずおわり。

2月

もう2月ということで、仕事が山場。密度のある1ヶ月だった。
昨日と今日、先週と今週の区別がつかなくなってくる。
ちょっと忙しいとふしぶし痙攣したり痛みがでてきたりして、もう年だなあと感じる今日この頃。行きたい展示もいけないこの世の中にポイズン。

ではまた。

乾き(目の)


このあいだ読んだ「先生はえらい」って本が面白かったので、Amazonで「身体知 身体が教えてくれること」って本を買ってササットと読んだ。

三砂ちづる(『オニババ化する女たち』の著者)さんとの対談形式。7年前の本。
おもに出産や結婚、子育てのところが面白かった。大学時代の知り合いがさいきん結婚したり出産したりしていたり、家にはつねに姪や甥がいるもので。
まあまあ面白かった。女の人のほうが読んで楽しい本かもしれない。



今日も高校の図書室をフラフラしていたところ一冊の本が目に留まった。
表紙の淡いトーンに引かれて手にとったのは「草子ブックガイド」という漫画。
表紙を開いた瞬間から「自分がなにかを求めているときにちょうど求めていた本がみつかるあの感覚」が身体に走った。

エッチングで描かれた銅版画のような絵と、本に対する愛に満ちあふれた内容。
ブックトークや山月記のくだりは電車のなかで泣いた。すばらしすぎる。メディア芸術祭マンガ部門でいつか受賞しそう。



自分が浪人を重ねたのは、単純にやる気と努力する才能がなかったことと、当時私立の美大に行くお金がなかったことだが、もし自分がうっかり現役で美術大学にはいっていたらどうなっていただろう?
いまだったら倍率1倍台…というより定員割れしているところもあるので、学校を選ばなければすんなり美大生にはなれる。

おそらく自分なんかが現役でポッと入学していたら現代美術のことも知らないまま、なんで美大にいるのかもわからないまま過ごしてしまったかもしれない。ぼくは浪人生活の中で最後のほうちょっとだけ大人になれた。浪人したくないと高校生はいうが、結果的に「浪人しなくて良かった」とおもう浪人して入学した美大生はあまりいないだろう。あの時期に考えたことはのちのち何かに繋がってくるだろう。

もちろん志望校に現役で入学できるのは良いことだが、志望校に入れるまで挑戦できるのも大学受験の良いところ。もう少し腰を据えて美大受験に望めば…と思うときもあるが、この不況の時代にそうもいきますまい。



今日は雪が降って寒かった。
自分の世界に閉じこもっているとそういうことも書き忘れそうになる。

足下が寒い(冬だから)

Eテレで「100分de名著」という番組がやっており、視聴したことはないのだが、おそらくそれは100分で名著を解説番組と思われる(調べてみたら実際は週25分づつ4回、毎月ごとに1冊読み下すそうです)。

本屋で語学番組のコーナーに行くとこの番組のテキストがよく平積みされており、たとえばマキャベリだったりドラッカーだったり宮沢賢治だったり、まあ多種多様な人物の著作を取り上げているわけではあるが、今月の著作は兼行「徒然草」。

その第一回めの小見出しが『「何者でもなかった人」の観察眼 』。
それはちょうど最近まで放映されていた「輪るピングドラム」(面白かったですし、その後17年越しにオウムの平田容疑者が出頭してきたのもどこか象徴的ですね)の作中の台詞「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」を彷彿とさせ、時期を同じくして違ったところから耳に挟んだ「何者でもない」ということについて考えてしまうのです。

徒然草は批評の原点である、というようなことを昔聞いた。「何者でもない」からでこその審美眼というのもあるのだろう。いまやインターネットを見渡せば匿名のそういったものが溢れている。

予備校講師というのは画家だとかフリーランスのデザイナーだったりだとかアーティストだったりだとかそれぞれ本職を持っているのが普通だが、自分にはそれがない。つまり、美大出身のそこらへんのアラサー(無職)が予備校講師をしているのとあまり変わらないのである。

それを言ったら学校の美術の先生だって美術の先生なので、予備校の先生が単なる予備校の先生だっていいじゃないか。とか。先生っていうのは何者でもない人物がやるから先生なんだ。とか。自己弁護の言葉もいくつかは浮かぶ。

だが美術の世界は基本的に徒弟制度であり、技術の伝授によって培われている世界だ。
そういう世界でこの何者でもなさというのは、生徒からしてみたらやっぱりうさんくさいと思うのだが、そうです、先生のうさんくささに気がつける大人になってください。そもそも世界なんていうのはうさんくさいものの集合体ですから、そういう中から真実と思えるものだけをあなたがたは信じてください。

で、なんの話だっけ。

まあ無理矢理徒然草と自分の仕事を結びつけて結論づける必要もないのだが、例えばデザイナーやアーティストなど軸足を持っている人はそれを中心に指導すればいいし、自分の場合はむしろ「何者でもなさ」を利用していかなければと思う受験一ヶ月まえなのであった。


あと、本当はこんな記事を書きたいんじゃなくて、ただ徒然草の解説担当「古文のマドンナ」こと荻野文子さんの肩書きが「予備校講師・文筆家」と書いてあって、その世を捨てている感じの肩書きが最高にカッコいいなって、ただそんだけを言いたかったんです。(まじで)
アンサイクロペディアの項目も笑えます。

雑記

高校と予備校、どちらも可能性のある学生ばかり。
そんな人々の未来に関わってくる仕事だけに受験が近くなってくるこの時期はちょっと緊張する。

この仕事は自分にとって勉強になることが多い。それは美術に関しての勉強だけではない。講師としてどのように授業をデザインしていくか決まった方法があるわけではなく、自分自身の特性やその年度の学生のノリなども含めて試行錯誤ばかりだ。こうやってお仕事頑張ってる風に書いてはいるがいまだに望むような結果が出たことはない。もっと出来るはずなのに怠けているところもある。



予備校は大学に合格という目標を持ったうえで、高校が終わったあとにさらに安くない学費を払って自分の意志で来ているところだから、こちらが統制をとりやすいことは確か。やる気がなければ来る必要はない場所だ。遅刻や作品の未提出があっても「それじゃ大学に合格できないよ」と言えば本人たちも反省する。緊張感のある空気が作りやすい。大人のルールが通用するのだ。

高校は受験倍率もそこそこある美術科の学校とはいえ、やはり高校生にとっては一日の大半を過ごす生活の場。
義務教育ではないとはいえ、課題に対するやる気は学生によってまちまち。画材道具を忘れた、提出期限までに間に合わなかった、課題のプリントをなくした….。そういうことも多々ある。彼らにとっては数ある授業のひとつでしかない。サボりたくなったり、なんのために課題をこなさなければいけないのか目的意識も明確ではない人もいるだろう。



しかし自由な発想で面白い作品が出てくるのは高校のほう。
「なんかよくわかんないけどやりたいようにやってみました」的ないい意味でのテキトーさは時にとてもクリエイティブだ。制作時間もたっぷりある。週1回の授業なので1つの課題に1ヶ月くらいはかけるからだ。家に持ち帰って制作すれば使える時間はほぼ無制限といっていい。

一方、予備校は限られた時間と受験というプレッシャーのなかで学生の描く作品はテクニックに陥りがちだ。絶対に失敗をしない方法を追い求め、気にするのは表面ばかり。それが結果的に遠回りになるとも知らずに!

ただ予備校でも、ときに受験課題とはいえ本当に素晴らしい作品も出てくるし、受験に失敗して浪人した高校生が1年後には見違えるように完成度の上がった作品を描いている光景を見てしまうと(そして人間的にもちょこっと成長していると)、やはり予備校という環境も悪くないと思ってしまう。



美術を教えるにあたって高校と予備校でそれぞれメリットとデメリットがあり、それぞれのメリットを合わせたハイブリッドな教えかたができれば…とも思うのだけれど、現実的には難しいところもある。
なにより普段のぼくは授業で何もしないことで有名なので、学生からしたら「なに偉そうなこと言ってんだこいつ」と思うかもしれません。すいません、まじ調子のりました。

ひとりごとですのであしからず。
ではまた。