日本・現代・美術



椹木野衣「日本・現代・美術」を数ページだけ読み返した。
以下、引用メモ




ここでいう反映のポップを代表するのは、八〇年代初頭に、広告代理店、マスメディア、流通資本といった国内企業に支えられるかたちで現われた、「日本グラフィック展」および「日本イラストレーション展」からデビューを飾った「アーティスト」たちであろう。

ところで、「美術」という営みがあくまで明治期における国民国家のいびつな成立に由来し、そこからの固有な流れのなかでしか成立しないものである以上、そのような「日本」という問題系が最終的に失われたこの時期に、彼らが職業的にはグラフィック・デザイナーやイラストレーターであると同時に、アーティストと名乗りえたことの理由もはっきりするだろう。

実際、日本における「新表現主義」が、美術のフィールド以上に、イラストレーションの分野で歓迎され、湯村輝彦、安西水丸、スージー甘金といった「ヘタウマ」と結びつき、そこからのフィードバックとして美術に逆影響すら及ぼしていたことは記憶に新しい。


逆にいえばこれらの「グラフィズム」現象は、わたしがいう外部との緊張関係において生ずる実践的要請としての「日本」とは百八十度反対に、欧米では容易に見出すことのできないジャンルのクロスオーヴァーを可能にしたという意味で、日本固有の現象といいうるのである。

したがって、このような「グラフィズム」現象を象徴する作家であった日比野克彦が、八〇年代における「ニューペインティング」の論客であった評論家、伊東順二によってヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の代表に選ばれ、日本の「伝統」をテーマに「美術」作品を展示したことは、非常に興味深いことである。

もっとも、逆説的な物言いになるが、日比野はこの分野で最も成功したがゆえにその矛盾を全面的にかぶった作家でもあり、また、この矛盾が「美術」そのもののあり様である以上、その固有の「歩み」は戦後の一角に決して無視できない位置を占めている。




閑話休題

以前、日本の英字3文字や英字5文字のなんとかっていうアートディレクターやグラフィックデザイナー団体に所属する、国際なんちゃらビエンナーレなどで賞もとったことある大物のアートディレクターが、講義で「みなさんも現代美術をみるといいですよ。あの広告はあの現代美術の作品と似ているなっていうことが、たくさんあります」というような内容を言っていた。(もう何年も前なのでなんと言ってたかは忘れてしまったが、大体そのような内容だった。)

ようは広告は現代美術をパクってるということなのだが、その口調にはまったく悪気がなく、むしろ優しい笑顔でのほほんと喋っていたので、「のんきだな」と思った記憶がある。ちょうど横尾忠則が育毛剤のCMに講義をしたくらいの時期だったので。


ぼく自信は特に推奨まではしないけど、受験生は好きな作品をどんどんパクればいいんじゃないかと思ってます。グラフィックデザイナーになるならばパクるのも技術なのではないでしょうか。技術のない人がパクっても、だいたいは中途半端な劣化コピーになるのが関の山。パクりきるのにはやはり訓練が必要なんです。

なにより、多摩美のグラフィックデザイン学科はそういう既存の作品に影響を受けているものに高得点をつけるのだし、大学の先生の作品だってパクりっぽいものがあるし、某教授は自分は予備校に行かないでずっと模写をして大学に合格したって言ってるし、カリキュラムでも作風模写をやるし、在校生や卒業生の作品だってパクりっぽいし、それが日本の広告デザインの文脈なんだから、その文脈に従うことは悪いことではないはず。

それはデザインに限らず東京藝術大学の油画だってもろに「○○風の絵」(たとえばリヒターとかカッツとかデュマス)で合格している。ジャッジする立場からいえば、無知な人が凡庸な個性をアピールするよりも、何かの作品に強く影響を受けた作品のほうが「よく勉強してるな」っていうことになるのかもしれない。(大学教授の知らないようなマニアックだったり新しい作家をパクることで目新しさを狙っている場合もある。)


んまー、美術を勉強し始めた人が、習作として好きな作家作品に影響を受けた作品を制作するのはいいんじゃないでしょうか。パクりというその甘い蜜にどっぷり浸からなければ。



*訂正
引用部分で伊東順二さんの名前を間違って記載してしまったので訂正しました

ART VIRUS 日本グラフィック展1980−1989、アーバナートメモリアル



「この本について改めて書きたい」と書いてから丸2年経ってしまった…。

「ART VIRUS 日本グラフィック展1980−1989」を改めて読み直したところ、新たに考えたことやわかったことがありました。さらにインターネットで詳しく調べようとしたら「ART VIRUS 日本グラフィック展1980−1989」の続編にあたる「アーバナート メモリアル」という本があることを知りました。

さっそく取り寄せて読んでみると、これがまた色々な発見がありました。しかしせっかく脳内で整理しかかってたことも、新たな知識が増えることによりまたゴチャゴチャになってしまったので、このままだとまた更新するのに2年くらい経ってしまいそう…。



以下自分用メモ

→70年代までアートとデザインはそれぞれ住み分けられていた。

→70年代の後半になるとコンセプチュアルアートやミニマルアートといった「芸術のための芸術」は行き詰まった。

→そこに登場したニューペインティング(新表現主義)が風穴を開けた。

→80年から日本ではイラストレーターとフォトグラファーの発掘を目的とした「日本グラフィック展」がスタートした。

→82年第3回「日本グラフィック展」において日比野克彦が半立体的なコラージュ作品で大賞を受賞する。

→翌年以降も「日本グラフィック展」への応募作品は増加していく。「日本グラフィック展」へ応募される作品は、日比野克彦の影響や世界的なニューペインティングブームもあり、芸術化していく傾向が出てくる。(この80年代初頭がアートとデザインの境界がぼんやりし始めた時代なんだと思う)

→同時代の作家を影響を受けたような表現もあれば、マチスやホックニーに影響を受けたようなもの、ベーコンやらカンディンスキーだのクレメンテだの、様々な作風の絵が「日本グラフィック展」へ応募される。

→日比野克彦の前例によりもはやグラフィックとはいえないレベルにまで立体化・物質化していく傾向に対応するため84年には立体作品のための「日本オブジェ展」がスタート。(87年には「オブジェTOKYO」に改称)

→身の回りのあらゆるものを素材にした「日本オブジェ展」は様々な表現形態を生み出す(受賞者に開発好明やヤノベケンジがいる)。一方で「日本グラフィック展」は85年に応募点数は過去最高とピークを迎えるものの、なにかの模倣のような作品が増え、表現的には少しずつ行き詰まりをみせる。

→91年、「日本グラフィック展」と「日本オブジェ展」が終了する。翌92年から「アーバナート」(URBANとARTを合体させた造語)スタートする。99年までの終了までに長島有里枝、さとうりさ、立花文穂、できやよい、田中偉一郎、成田九など、写真やデザイン、アートなどの様々な分野で現在でも活躍する人たちが受賞する。



91年になるとレントゲン藝術研究所ができて現代美術が活発になっていく。そこで村上隆やヤノベケンジ、会田誠といった現代美術家たちが登場し、現在の日本の現代美術の状況を作り上げている。

そもそも日比野克彦がグラフィックを3Dとして扱ったことでその後の「オブジェ展」「アーバナート」が生まれたことを考えれば、日本の現代美術における日比野克彦の影響はかなりでかい。

一方で、グラフィックは模倣の模倣が繰り返され続ける80年代的状況からどのように進化したか?
それはまだ勉強中です。



リアルタイムで追ってればこの時代のこと皮膚感覚でわかるんだと思うんだけど、自分はちょうどアートウイルスが始まった80年代の最初にうまれて、美術に興味持ったのがアーバナートが終了する90年代の終わりで、あんまわかってない。

椹木野衣氏の本をまた読み返すことになりそう。

海老フライ




いまディミトリ・フェルフルストというベルギーの作家の「残念な日々」という小説を読んでいる。とにかく下品な言葉や汚い描写のオンパレード。でも唐突にフッと悲しい。
ちょっとチャールズ・ブコウスキーっぽいかもしれない。
ひとつひとつは短編なので、時間が空いたときに読みやすい。

これは自分が唯一買ってる雑誌・テレビブロスに掲載されている豊崎由美の連載をもとに買った本なのだが、彼女の書評を参考にして買ったのはこれが初めてではない。

ここ1年以内で紹介されていた「アニマルズ・ピープル」「オスカーワオの短く凄まじい人生」はどっちも超面白かった。読まないなんてぜったい人生損してる。そう思える本だった。
細かい内容は覚えてないけど数年前に紹介されてた「ヴァーノン・ゴッド・リトル」はまあまあ面白かったけど、話を理解するのが難しかった記憶がある。

どれも主人公は少年(〜青年)で、どの話も汚い言葉や性的な描写がでてくるし、なんかしらの形で死が絡んできたりするんだけど、みんな純粋。純粋だからでこそペーソスがある。自分が衝撃をうけた大江健三郎の「セブンティーン」「政治少年死す」もそんなテイストだから、自分はそういう少年が主人公で死が絡んでくる話が好きなんでしょうね。

まあここで趣味の本をしてもどうしようもないと思うんだけど、とりあえずブログを更新するためにツナギで書いてみました。タイトルは今日の夕食です。

バタール

さいきんそこそこブログの更新頻度が上がってるのは本を読んでるからです。
この時期、仕事がそこまで忙しくないから本(特に小説)を読む余裕がある。
本から言葉を摂取すると、自分の中に溜まっていた言葉が外に押し出されてくる気がする。

さいきん読んだ小説は福永武彦「忘却の川」です。
福永武彦は作家・池澤夏樹の父であり、つまり声優・池澤春菜の祖父です。
2年半前にこの本を買ったんだけど、最初の数ページを読んで「なんかいまはこの本を読むタイミングではないかも」と思ってずっと放置してました。

全七章からなるこの小説は、各章ごとにそれぞれ異なった登場人物の一人称(独白)で語られながら物語が進展していきます。そのなかに三十五才、妻子持ちで美術評論家の男性が主人公の章がある。個人的に印象的だった文を引用します。



一日が始まり、やがて彼は無数にいる都会人の一人として街に出て行くだろう。無数にいる文化人の一人として、そのための特別の意義を感じることもなく芸術を見たり論じたりするだろう。無数にいる知識人の一人として、無益な思弁を弄し埒もない分析を重ね、生きていることの証明を自らに強いるだろう。

もしも人生に変化というものがあるのなら、革命でも戦争でも何でもいいからそれが欲しいと思わないわけではなかった。この日常のなまぬるさから抜け出せるならば、その報いは死であっても我慢してもよいような気もした。しかし彼はこのなまぬるさ、この安楽な気分、この平和が好きだった。(略)

十年前に感じ、呼吸し、生活していた情熱はそれがかつては確かに自分の中で生きていたにもかかわらず、今ではまるで他人の経験のような気がしていた。そして十年後の自分の姿は、ただの空想にすぎないのに、今の自分と少しも違わない乾からびた存在にきまっているようだった。

何かが自分を変えてしまった。現在に至るまでの間に、少しずつ何かが加わって行った。加わったものは分別だろうか、生きることの技術だろうか、生活力といったものだったろうか。消えたものは若さの持つ無鉄砲だった、がむしゃらな信念だった。自分への誇りだった。いや消え失せたものは沢山あった。加わったものの少さに較べれば。





彼の章は上記のような独白から始まります。

そして彼は自らを「氷に捉えられた葉」と比喩します。外の世界は風が吹き、冷たい空気が思椎を喚び覚ます世界があることを知りながら、自らは氷の中から外へは出ることができない。しかし、その氷の中でぬくぬくとしていることにもまた満足している自分がいる、と……。

彼は後半、とある画家との会話でこう言います。



僕だって批評家の存在を認めないわけじゃない、自分だってその一人ですからね。ただ批評家という商売は、肉を仕入れて来てソーセージを作っているような気がするんです。混ぜもののソーセージをね。一体批評家というのは、自分で実作を試みる必要はない、他人の作品を材料にごたくを並べていればいいことになっていますが、僕は実作者と批評家の違いは、子供と大人、或は青年と中年との違いじゃないかと思うことがあるんです。

実作者というのは、つまり子供がそのまま持ち越されて大人になった人間です。子供というか、青年というかそのよさですね、つまり好奇心とか、情熱とか、生命力とか、無鉄砲とか、野心とか、そういったものをいつまでも保ちながら年を取る。
批評家の方は初めから大人です、分別もあれば知識もある。詮索好きで、おせっかいで、偉そうな顔はしているが、肝心の若さを見失っている、心のなか、魂のなかにある純粋さを理解できないで、言葉の綾でつくろうだけです。これは少し極端な言いかたですがね。




彼は章の最後で、ショーウィンドウに飾られた硝子の城を見つめながら《この硝子の城のように、ただ光を反射するだけになってしまった。己は硝子の城に住んで、他人が愛したり生きたりするのを、批評家として眺めるだけの、つまらない人間になるだろう》と考えます。そして、そのショーウィンドウの先にある地下鉄の入り口の階段を下りさえすれば妻子と暖かい夕食が待っている自宅に帰れるはずだけども、その地下鉄の入り口の側を通り抜け、そのまま先のほうへ歩いて行くところで彼の章は終わります。

自分は批評家でもなければ妻子持ちでもないけど共感する部分がありました。
おわり。

先生はえらい

先日(ひとつきくらい前)に内田樹「先生はえらい」という本を読んだ。高校の図書室で何気なく目についたので借りてみた。

「先生はえらい」というタイトルの本を教員が借りるのはアレだけど、内田樹という著者がこのようなタイトル通りの内容を書くわけがなく、ひとことでいえば「先生とはなにか」ということについて書かれていた。

全文引用したいくらい面白い本なんだけど、いくつかセンテンスを抜粋。



尊敬できる先生というのは、「恋人」に似ています。…(略)…恋愛というのは「はたはたいろいろ言うけれど、私にはこの人がとても素敵に見える」という客観的判断の断固たる無視の上にしか成立しないものです。



学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません。
何を言っているのか全然わからなかったゆえに、あなたは彼から本質的なことを学ぶことができたのです。



私たちに深い達成感をもたらす対話というのは、「言いたいこと」や「聴きたいこと」が先にあって、それがことばになって二人の間を行き来したというものではありません。そうでなく、ことばが行き交った後になって、はじめて「言いたかったこと」と「聴きたかったこと」を二人が知った。そういう経験なんです



「失敗する仕方において私たちは独創性を発揮する」


300万円のロレックスって「どうして?」と思うような価格設定ですよね。1万円のスウォッチでも「時間を計る」ということについてはまったくオーケーなわけです。じゃあ299万円は「何の値段」でしょう?
ロレックス社が積算根拠を顧客にあきらかにしたらどうおもうでしょう?「これだけ手をかけているのか。これなら300万円でも少しも高くない」となると、もう誰もロレックス買わないですよ。だって「高くない」んだから。
交易が継続するためには、この代価でこの商品を購入したことに対する割り切れなさが残る必要があるのです。交換をするのは有用な財を手に入れるからではなく、交換することそれ自体が愉しいからである。これが私の考えです。



そして印象深かったのが、

先生は卓越した技術や知識をもっている必要がない。その人がいったい何を知っているのか私たちには想像が及ばない先生、「先生の中には私には決して到達できない境位がある」ということに実感するときにのみ弟子たちは震えるような敬意を感じる。

夏目漱石が「先生」の条件として挙げているのは二つだけです。一つは「なんだかよくわからない人」であること、一つは「ある種の満たされなさに取り憑かれた人」であること、この二つです。




などなど。
いまこの記事書いてるの、家を出る数分前とかでぜんぜんうまくまとめられてないんだけど、「先生はえらい」気になった人はググってみてください。

ではまた。