展示

東京都国立近代美術館で「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」を観た。
「ポロック展 感想」でググれば、ためになるブログもたくさん出てくるので詳細はそちらで。
ポロックの名前と絵を初めて知ったのは、高校生の頃。SupreamのボックスロゴTシャツのモチーフとしてポロックの絵が使われていたことがきっかけです。これですね。
その後、上野のMOMA展でポロックの絵の実物をみて「うおおおおおおお」と思った記憶がありまして、その感動をもう一度という気分で出かけたんですが、今回は100周年の回顧展ということで、初期や晩年の絵も含めたポロックの仕事をまとめた包括的な展示でした。
大きいドロッピングの絵が並んでいることを想像して訪れたわけなんですが、そうでもなかったです。色彩もいまみると古くて汚いな…とか思ってしまった。なんて。
そんなわけで期待したポロックとはちょっと違ったんですが、初期の原始美術的なおどろおどろしい作風や、アクションペインティング以前の他の作家に影響されまくりな作風、晩年の黒一色で描かれたブラック・ポーリングのシリーズなど、いろいろ見れて面白かったです。全体的に、暗くて病んでる。
個人的には晩年のブラック・ポーリングがいいなって思いました。でもあのまま生きてたらどうなってたんだろ?抽象をやりきったマレーヴィチが具象に回帰したように、ポロックも晩年は具象的なイメージを描くようになる。しかしその兆候があらわれたところで、故意なのか不慮なのか、事故死してしまった。
でも、初期から通してみると、やっぱポロックは死ぬことが運命づけられていたようにも思えてくる。
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ぜんっぜん関係ないけど、マルジェラの次の秋冬でポロック風ペイントジャーマンスニーカーが出るみたい。ポロックっていうか、ただ垂らしただけのドリッピングだけど。
2012年4月6日 9:24 PM|
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自宅から原美術館に行くには、新宿を経由していかなければならないためちょっと遠く感じる。
山手線に乗ってると恵比寿くらいで嫌になってくる。どの時間に乗ってもそこそこ混んでいるから。
原美術館は品川駅からちょっと歩くし、品川という駅自体ひとりで訪れたところでとくに他に見たい場所があるわけでもなく、個人的に原美術館に行くにはとても気力がいる。終館時刻が早いこともあって、見たかった展示でもタイミングを逃してしまうことが多い。
ま、そんなことはどーでもいい。
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原美術館で「杉本博司 ハダカから被服へ」を観てきた。主にモノクロの写真とテキストで構成された展示だった。
先日の「杉本文楽 曾根崎心中」で使用された人形や、横浜トリエンナーレにておこなわれた三番叟公演で野村萬斎が着用した衣装なども展示されていた。(←どっちも観てないからこのへんコピペです。三番叟とかよくわかってません。)
写真はいつもの通りの杉本博司。ジオラマシリーズや、有名なファッションデザイナーの服を着たマネキンを撮影した美しいモノクロの写真です。作品に添えられたテキストがいつもよりも読みやすく、面白い。むしろ写真のよりもテキストが主体という印象の展示だった。
格好からしてモロにファッション系のお客さんが多く、様々なタイプのカッコマン(死語)を見かけることができたので、そういった意味でもとても楽しめた。
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Twitterには杉本博司を好きじゃないという人も結構いる。金の匂いが強い感じ?どこかインチキくさい感じ?スノッブな感じ?なんとなくわかる気がするけど、むしろぼくは杉本博司のそういうところが好き。もしかしたら日本人の芸術家でいちばん好きなんじゃないかと思う。
村上隆も好きだけど、あれはもう作品を目の前に敬服するしかない完成度がある。それに比べると、杉本博司の作品は美術品として本当に価値があるのかどうなのかわからないところがある。とうぜん写真や立体のクオリティは高いものだけれど、しかし、鑑賞者たちの間で「どうやら杉本博司は有名で高値で素晴らしいから、素晴らしいものなのだ」という認識の元に作品が成り立っているところがあるように思えます。
不可解な部分があるからでこそ魅力的というのは、ロレックスやエルメスのようないわゆる「ブランド」であって、だからぼくみたいな俗物は杉本博司が好きなんだと思う。村上隆の作品には職人的な工芸技術的な要素があるけども、杉本博司はもっと胡散臭いおっさんのようで、そこがたまらない。
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ところで展示をみながらもうひとつ考えたことがあって、それは「藤原ヒロシみたいだな」ということ。
藤原ヒロシといえば「何をしてるかいまいちよくわからないがなぜかエリッククラプトンと仲が良くて金を持ってるファッションカリスマ」というイメージです。
彼がなぜカリスマかといえば、彼の半生について書かれた故・川勝正幸による本「丘の上のパンク」の「時代をエディットする男」というサブタイトルにあるように、エディット(編集)するセンスに長けていたからでしょう。
藤原ヒロシの長けた編集するセンスとは、自らの関わるストリート・ブランドと、エルメスやルイヴィトンといったハイ・ブランドをブログや雑誌連載で並列的に紹介することです。その選択眼は村上隆の運営するKaiKaiKiKiギャラリーにておこなわれた展示「Hi&Lo」でも披露されました。
杉本博司はもともと古美術商だったことも関係するのか、近年では数億年前の化石や、いくらするのかわからないような骨董品、または無価値に等しいようなものを、自らの作品とともに展示をします。そういった、古今東西のものを自分の作品を含めて編集する能力(と若干の胡散臭さ)が藤原ヒロシに似ているなと思いました。
金沢で買った「歴史の歴史」の巻末のテキストを、この記事を書きながらはじめて読んでんだけど、それこそ「収集物と自作の融解」とかドンピシャなことについて触れられていて、もっときちんと調べた上で書けば良かったなって思ったけど、デュシャンとかまで絡んできそうだし、このへんで終わっときます。
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ミュージアムショップで売ってたこのウチワ欲しい。
「うちわ=扇風機(せんぷうき)」ということで、「せん」を「銭」、「き」は取っ手部分の木で表現したダジャレ。杉本博司の自筆で3万だって。「せん」は銭のほかにも何パターンかあるみたいだけど、この「銭」のバージョンがいちばん杉本博司っぽいし、自分っぽくもあるから、けっこう本気で欲しい。いまいち買えないのは紙の部分が数年で劣化しそうだから。

5:20 PM|
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ggg「TDC展 2012」に行ってきた。
個人的にいちばん興味を持ったのがタイプデザイン賞を受賞した「Mr Porter custom typeface」。Underwareというオランダのグループによるものらしい。

なんで気になったかっていうと、わりと頻繁にチェックしてるMr Porterというショップがクライアントだったから。このショップに以前メールアドレスを登録したので毎日のように入荷メールが届くんだけど、そのたびにカッコいい字だなって思ってた。でもまさかオリジナルの書体とは思ってなかった(あとMr Porterが店舗を持たないオンラインのみのショップっていうのも今日知った)。
こうやって普段身近に接しているものがこういった形で取り上げられるのはなんとなく嬉しいし、それがデザインの面白いところなんだろう。
2012年4月5日 5:17 PM|
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昨年末にイギリスのテートモダンでゲルハルトリヒターの個展が開催されていて、できることなら観たいなあとは思っていたのだけれど、仕事はあるしお金はないし現実的に無理だよなあと思って諦めた。しかしよくよく調べてみれば、この個展はイギリス・ドイツ・フランスの共同開催らしいことがわかった。現在はドイツで開催されており、どうやらフランスのポンピドゥーにも巡回しそう。9月ころまで開催されているようなので、もしかしたら時期的に行くことが出来るかもしれない。
現在のところ「ポンピドゥー リヒター」で検索するとぼくのTwitterがトップに表示されてしまうので間違ってたら申し訳ない。とりあえずソースはここです。
ポンピドゥーのサイトを訪れて見つけたんだけど、いまポンピドゥーではアルバースの展示がおこなわれているらしく、こんな映像を見つけた。
Josef Albers en Amérique – du 8 février au 30… 投稿者 centrepompidou
絵画を紹介する映像は数あれど、こんなふうにBGMとシンクロさせて紹介するなんてスタイリッシュ。この映像に写ってる絵、絵の具の質感が生々しい。制作途中?っぽいし。アルバースって印刷物で見る機会が多いし、ツルっとした印象だったから新鮮だった。
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アルバースを知ったのは何年前だろう?自分は予備校の講師を始めた時点でグラフィックデザインというものにとても疎かったから、まずはグラフィックデザイン史を自分なりに勉強した。そのときにイッテンとかアルバースとか、まあとにかく色々ちゃんと知ることになるんだけど、アルバースの絵を自らの目でみたのはほんの数年前だった。それは地の色の上に、一色の線で描かれた絵だった。
そのときに思ったことは「グラフィックは2色でも成立する」ということ。
受験においてデザインに大切なのは引く作業、だからなるべく色数は少なく…というのがセオリー。でも、まさか2色じゃ難しいだろうと思っていたのだけど、アルバースの絵を目の前にしたとき、その大きさも関係ないとはいえないが、2色でもたしかに作品として成立していた。
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とまあ、ずいぶん回りくどく話したけど、G8でおこなわれている澁谷克彦の展示をみてそんなことを思い出した。展示としてはまあもうちょっと頑張ってくれよっていう部分もあったけど、グラフィック志望の人は見ておいて損はないでしょうね。
2012年4月4日 10:04 PM|
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多摩美の学内で行われている卒業制作展に行ってきた。
最終日ということで展示は15時まで、さらに仕事と仕事の合間に行ったため、実質1時間程度しか見ることができなかった。というわけで見たのは情報デザイン学科と油画科だけ。
まず情報デザイン学科。
デザインコースも芸術コースも今年は学外展を見に行けなかったので、こうやって学外と学内で2度卒業制作を見るチャンスがあるのは嬉しい。
学科によるのかもしれないが、デザイン系の卒業生にとって学内展示はほぼオマケみたいなもの。
学外展に照準とテンションを合わせてるので、意識のうえではきちんとやりたいとは思っていても学内展のころには気力が残っていないのが現実。
だから、展示に荒さが見えても、会場が葬式のように暗くても文句を言ってはいけない。
だから、展示に荒さが見えても、会場が葬式のように暗くても文句を言ってはいけない……。
デザインコースは、Macがずらーっと並んでいた。
ああいうのってあんまり積極的に触ってみたいと思わない。キャプションを読んでもどういった内容のものなのかまったく掴めないから、内容の善し悪しとはまったく無関係に、知り合いだとか、よほど目につくとか、パッと見でわかりやすくなければ、スルーされてしてしまう。
目についた作品を何点か操作してみるものの、あまり操作性が良いとはいえない。恐る恐るマウスを触ってみるが、自分のペースで読み飛ばせない、クリックする場所がわからない、いつ終わるのかわからない。作品の内容のまえに、導入部分でうまくいってない。
また、漫画やアニメに影響を受けたイラストが多用されている印象があった。それがいけないわけではないのだけど、そこでこのテイストを出すのか、とやや安易な印象をうける。受験において、デザインコースの採点ポイントは「丁寧な作業」「清潔感のある色彩」といったところだが、近年はポイントがはっきりしすぎて人選が偏っているのかもしれないと感じた。
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芸術コースは、良い作品は良かったし、ちょっと微妙だなっていうのも玉石混淆。
何が玉で何が石かは、見る人によって異なるとは思う。
微妙っていうのは、なにを目指しているのかわからないっていう意味です。
デザイン科のなかの芸術コースということで、その曖昧なポジションこそがこの学科のアイデンティティでもあるわけだけど、いろいろできることが、逆にネックになってるのかもしれない。
見せ方はどの作品も器用だし、よく知っている。アートっぽい。見た目はアートっぽいんだけど、ちょっと表面的。
本気でアーティストになるわけではないけど、アート作品を作った。という感じもする。
でもま、自分の周囲をみていても、卒制は関係なく卒業後はみんな会社員だったりフリーだったりでたくましくやってるから、そういう経験は意味があるのだと思う。自分に表現は向いていない、と悟って次のステップに移るパターンもあるだろうし。
ただ、学科としてもうちょい方向性というか着地点はあってもいい気はする。ぶっちゃけ三流大学(失敬)っぽい作品もあって、受験生が見に来たら不安になるんじゃないかと心配。
このへんのことはまた改めて。
すっごいネガティブなこと書いたけど、卒業制作って難しいよね。超わかる。
ここで書いたことは、作品や作者に向かってというよりもむしろ、学科としての教育のあり方について考えていることです。
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情報の展示をみたあと、モヤモヤした気持ちで油画の作品をみたら、すごく良くみえた。
どの作品も金にはならなそうだし、一生作家としてやっていけるのはごく少数なんだろうけど、自由でいいなと。
なんていうか、ホッとした。
油画科は展示場所がいい。自然光が入るアトリエで、無駄なものがなくて、でも適度に汚くて、その汚さは過去から現在までの芸術に青春を捧げた若者の記憶であり、五美大展の国立新美術館よりも作品が良くみえる。
2012年3月24日 1:58 PM|
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